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東京地方裁判所 昭和60年(刑わ)2196号 判決

《本籍・住居省略》

無職 中江滋樹

昭和二九年一月三一日生

〈ほか九名〉

右一〇名に対する各詐欺被告事件について、当裁判所は、検察官會田宣明出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人中江滋樹を懲役八年に、被告人加藤文昭を懲役四年に、被告人渋谷邦雄を懲役三年に、被告人目黒義平を懲役三年に、被告人品川利郎を懲役二年六月に、被告人大田豊蔵を懲役二年一〇月に、被告人板橋春助を懲役二年に、被告人荒川辰男を懲役三年に、被告人足立克郎を懲役三年に、被告人葛飾勝利を懲役三年に各処する。

未決勾留日数中、被告人中江滋樹に対しては四五〇日を、被告人加藤文昭に対しては三九〇日を、被告人渋谷邦雄に対しては一六〇日を、被告人目黒義平に対しては三〇〇日を、被告人品川利郎に対しては六〇日を、被告人大田豊蔵に対しては一四〇日を、被告人板橋春助に対しては一〇〇日を、被告人荒川辰男に対しては六〇日を、被告人足立克郎に対しては八〇日を、それぞれその刑に算入する。この裁判確定の日から、被告人目黒義平に対し五年間、被告人渋谷邦雄、同品川利郎、同大田豊蔵、同荒川辰男、同足立克郎及び同葛飾勝利に対し各四年間、被告人板橋春男に対し三年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人江堀芳行、同林兼吉及び同青木茂に各支給した分は被告人中江滋樹、同加藤文昭、同渋谷邦雄、同目黒義平及び同大田豊蔵の、証人河本定利に支給した分は被告人中江滋樹、同加藤文昭、同渋谷邦雄及び同目黒義平の、証人大木克己、同中田良一、同田村一也、同大石竹男、同大田善夫及び同小田次郎に各支給した分は被告人中江滋樹、同加藤文昭及び同渋谷邦雄の、証人関利夫、同上田久、同齋藤正治、同足立克郎及び同河野常雄に各支給した分並びに証人葛飾勝利に第二一回及び第二三回各公判期日の関係で支給した分は被告人中江滋樹、同加藤文昭、同渋谷邦雄、同大田豊蔵及び同板橋春男の、証人飯田良昭、同小谷昇一、同清川広行、同金崎真吾、同川西一雄に各支給した分は被告人中江滋樹、同加藤文昭、同渋谷邦雄及び同大田豊蔵の、証人金田昌二に支給した分は被告人中江滋樹、同加藤文昭、同渋谷邦雄及び同板橋春男のそれぞれ連帯負担とし、証人菅原勇及び同谷村芳次に各支給した分並びに証人葛飾勝利に第一九回公判期日の関係で支給した分は被告人目黒義平の負担とする。

理由

(被告人らの身上、経歴、投資ジャーナルにおける地位等)

一  被告人中江(以下「中江」という。)は、昭和四七年三月滋賀県下の高校を卒業し、名古屋市内で、証券会社のアルバイトをしたり、株式情報に関するレポートを販売する株式会社三愛経済研究所で勤務したりした後、昭和五一年三月ころから、京都市内で、「ツーバイツー」の名称で株式情報に関するレポートの販売や投資相談の仕事をする投資コンサルタント業を始めるようになり、同年七月には、これを株式会社組織に改めて自らその代表取締役になり(昭和五二年一一月に株式会社ツーバイツーに社名を変更。また、昭和五三年八月代表取締役を被告人加藤に変更。以下「ツーバイツー」という。)、被告人加藤(以下「加藤」という。)、同渋谷(以下「渋谷」という。)、同目黒(以下「目黒」という。)らを使って、前記レポートの販売等の営業をするほか、会員を募って会費を納入させ、その会員に株式投資に関する情報を提供するいわゆる投資顧問の営業を続けたが、昭和五三年八月ころ、株式投資に関する雑誌の出版、販売の仕事をするため、ツーバイツーの営業を加藤らに委ねて、上京し、同年一〇月、東京都中央区日本橋蛎殻町一丁目二一番六号所在の南雲ビル二階に、株式会社投資ジャーナル(昭和五四年五月同区日本橋茅場町二丁目一一番一号所在の高野ビル四階に、昭和五七年六月同区日本橋兜町一一番一〇号所在の兜町中央ビルにそれぞれ本店を移転。以下「投資ジャーナル」という。なお、投資ジャーナルグループを「投資ジャーナル」ということもある。)を設立して、自らその代表取締役となり(昭和五四年七月から昭和五六年四月までは菅野俊雄に、昭和五六年七月以降は加藤にそれぞれ代表取締役を変更。)、月刊誌「月刊投資家」の出版、販売を始め、更に、昭和五四年四月ころから、投資ジャーナルでも、右雑誌の出版、販売のほか、いわゆる投資顧問の営業を始めることとし、同年八月ころ、加藤及び渋谷を上京させて投資顧問の営業に当たらせるようになり、昭和五五年六月ころには営業不振のためツーバイツーを閉鎖し、昭和五六年六月ころ、京都に残っていた目黒ら社員も上京させて、じ来、東京を本拠にして、前記雑誌の出版、販売に併わせて、社員らに相愛会その他種々の社名もしくは名称を用いた投資顧問の会を持たせて大々的に投資顧問の会員獲得に当たらせ、更に、その後、本件関係の営業を行うため、昭和五七年三月、東京都中央区日本橋本町一番二号所在の近甚ビルに、東証信用代行株式会社(設立登記は、昭和五八年五月。昭和五七年一二月同区日本橋茅場町一丁目一一番三号所在の岡本ビルに本店を移転。以下「東証信」という。)を、昭和五七年八月、同区日本橋兜町一一番一〇号所在の兜町中央ビル一階に、株式会社東京クレジット(営業開始は、同年一〇月から。昭和五八年九月同区日本橋兜町九番二号所在の兜町第二ビルに本店を移転。以下「東クレ」という。)を、昭和五八年一一月、同区日本橋箱崎町三丁目一二番地所在の第五セントラルビルに、日本証券流通株式会社(営業開始は、昭和五九年二月。以下「流通」という。)を、更に、同区日本橋蛎殻町一丁目一七番二号所在のライオンズマンション日本橋に証券システム(未登記。営業開始は、昭和五九年六月。)を次々に設立し、東証信については、加藤及び被告人品川(以下「品川」という。)を、東クレについては、被告人荒川(以下「荒川」という。)及び被告人大田(以下「大田」という。)を、流通については、被告人板橋(以下「板橋」という。)をそれぞれ責任者として、その営業に当たらせたが、中江は、これら投資ジャーナルを中心とした各社から成る投資ジャーナルグループの会長として同グループを主宰し、文字どおりその頂点に立って業務の一切を取りしきっていたものであり、また、その間、自らも関東電化工業株をはじめとする大規模かつ多種類の株式の売買を行ってきていた。

二  加藤は、創価大学在学中の昭和四九年七月ころ、中江と知り合って交遊を続けるようになり、昭和五一年三月ころ、中江が前記のとおりツーバイツーの営業を始めたので、これを手伝い、翌昭和五二年三月に同大学経済学部を卒業した後は、ツーバイツーの正式の社員となり、じ来、前記のとおり、ツーバイツー及び投資ジャーナルの代表取締役となり、あるいは東証信の責任者となるなど、投資ジャーナルグループの営業の全般に関し、中江の片腕となって、中江を補佐し、同グループ内において中江に次ぐ立場にあった。

三  渋谷は、昭和五一年三月同志社大学工学部を卒業し、京都市内の事務機器の販売会社に勤務したが、昭和五二年七月ころ右会社を辞め、加藤と知り合って、同年一〇月ころツーバイツーに入り、その後、前記のとおり、昭和五四年八月ころ、加藤とともに上京して、投資ジャーナルの仕事に関係するようになったが、投資ジャーナルでは総務部長として、また、昭和五五年九月、商品の発送及び配送代行等を目的として設立された日本事務代行株式会社(以下「日本事務代行」という。)では代表取締役として、中江及び加藤を補佐する、投資ジャーナルグループの総務部門の責任者の地位にあった。

四  目黒は、昭和三六年三月京都市内の商業高校を卒業し、和光証券株式会社の前身である大井証券株式会社に入社したが、昭和五二年一〇月同社を辞め、昭和五三年一月ころツーバイツーに営業社員として入社し、その後、昭和五四年七月ころから、いずれも投資ジャーナルグループに属する投資ジャーナル関西支社、株式会社証券経済情報出版、グリーンクラブ等で、投資顧問の会員獲得の営業を続けた後、前記のとおり、昭和五六年六月ころ、上京して、投資ジャーナルの投資顧問の会員獲得の仕事をするようになり、その後昭和五七年三月、投資ジャーナルの営業部門に柱制度(その後班制度に発展、班長の前身)が設けられると、柱の一人となって、積極的にその営業に従事し、投資ジャーナルの社内でも専務と呼ばれるなど、投資ジャーナルの営業部門の中心的な役割を果たす立場にあった。

五  品川は、昭和三六年三月明治大学商学部を卒業し、大和証券株式会社に営業部員として勤務したが、昭和四三年九月ころ同社を辞め、その後自ら家庭電化製品を販売する会社を経営したり、また、昭和五三年二月ころからは都内の投資顧問の会社を転々として勤務したりした後、昭和五五年九月ころ投資ジャーナルグループの一つである株式会社相愛会に入社し、同社で投資顧問の会員獲得の仕事をし、更に、昭和五七年一月ころから投資ジャーナルに移って営業の仕事をするようになり、同年七月にはその柱の一人となったが、同年一〇月ころ品川自身の希望で東証信へ移り、その後昭和五九年七月三一日まで、同社の営業部長として、同社の営業全般についての責任者の立場にあった。

六  大田は、昭和二六年三月高知県内の高校を卒業し、昭和五一年七月まで大蔵省理財局の事務官等として勤務したが、これを辞め、その後行政書士、証券金融会社のマネージャー、金融等のコンサルタント会社の経営などをした後、昭和五七年一〇月東クレに入り、昭和五九年六月一九日まで、同社の営業部長又は取締役として、同社の営業全般についての責任者の立場にあった。

七  板橋は、昭和二九年三月都内の商業高校を卒業し、山吉証券株式会社に入社したが、昭和三八年八月ころ同社を辞め、その後証券会社の外務員、冷暖房設備取付業の手伝い、タクシー運転手などを転々とした後、昭和五八年一一月流通の代表取締役として同社に入り、昭和五九年二月中旬に同社が開業した後は、同社の営業全般についての責任者の立場にあった。

八  荒川は、昭和三五年三月大分県内の商業高校を卒業し、野村証券株式会社に入社して、福岡、下関、米子、徳島の各支店を転勤したが、昭和四五年に同社を辞め、その後上京して、証券会社の外務員として働き、あるいは自ら投資顧問の会社を経営するなどした後、昭和五五年一〇月投資ジャーナルに入り、同社の主催する講演会の企画宣伝、更には、投資ジャーナルの中にあって、高倉邦承事務所の名称を用いて投資顧問の会員獲得の仕事などをし、昭和五七年三月から昭和五九年六月末投資ジャーナルを退職するまで、柱の一人となって、積極的にその営業に従事し、更に昭和五七年一〇月東クレが開業してからの相当期間は同社の営業全般についての責任者の立場にあった。

九  被告人足立(以下「足立」という。)は、昭和四九年三月日本大学法学部を卒業し、偕成証券株式会社に入社して営業員として勤務したが、昭和五二年三月ころ同社を辞め、スポーツ新聞の販売拡張の仕事をした後、昭和五四年八月投資ジャーナルに入り、投資顧問の会員獲得、科学技術開発振興協会の名称による科学ビデオの製作、販売等の仕事に従事し、昭和五七年三月からは、柱の一人となって、積極的にその営業に従事していた。

一〇  被告人葛飾(以下「葛飾」という。)は、昭和五三年三月青山学院大学経営学部を二年で中退し、その後ビザ申請代行のアルバイト、証券会社の場電係などした後、昭和五七年一月ころ投資ジャーナルに入社して、投資顧問の会員獲得等の仕事をし、同年五月からは、柱の一人となって、積極的にその営業に従事していた。

(罪となるべき事実)

被告人らは、前記のとおり、中江にあっては投資ジャーナルグループを主宰する会長として、加藤にあっては投資ジャーナルの代表取締役であり、かつ、東証信の責任者として、渋谷にあっては投資ジャーナルの総務部長であり、かつ、日本事務代行の代表取締役として、目黒にあっては投資ジャーナルの営業部門の取りまとめないし中心的役割を担う者として、品川にあっては投資ジャーナル営業部門の柱あるいは東証信の営業部長として、大田にあっては東クレの営業部長ないし取締役として、板橋にあっては流通の代表取締役として、荒川にあっては投資ジャーナルの営業部門の柱(班長)であり、かつ、東クレの責任者として、足立及び葛飾にあってはいずれも投資ジャーナルの営業部門の柱(班長)として、それぞれ積極的に投資ジャーナルグループの営業を推進していたものであるが、株式買付資金の融資、株式の売買及びその取次ぎを仮装して、株式投資家から株式買付資金の融資保証金又は株式買付資金等名下に現金、株券等を騙取しようと企て、

第一(昭和六〇年七月一〇日付け起訴状公訴事実及び同年九月二〇日付け起訴状公訴事実第九関係)

一 1 中江、加藤、渋谷、目黒、大田及び葛飾は、共謀の上、別紙犯罪一覧表第一の一の1の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年三月二九日ころから同年一二月二〇日ころまでの間、前後十数回にわたり、目黒、大田及び葛飾において、東京都渋谷区《番地省略》所在のL株式会社分室に架電し、あるいは同都中央区日本橋兜町一一番一〇号所在の兜町中央ビルの投資ジャーナル外一か所において、山中喜雄に対し、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もなく、かつ、株式売買の注文を証券会社に取り次ぐ意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年三月二九日ころから同年一二月二〇日ころまでの間、前後一六回にわたり、同都同区日本橋茅場町一丁目二番一四号所在の協和銀行茅場町支店外二か所において、同人から株式買付資金又は株式買付資金の融資保証金名下に現金一億一、四四〇万円及び帝国石油株式一、〇〇〇株券等株券合計四六通(時価合計二、一五五万七、二八八円相当)(葛飾については、同表番号14及び15を除く。)を振込入金させ又はその交付を受けてこれを騙取し

2 中江、加藤、渋谷、目黒及び板橋は、共謀の上、別紙犯罪一覧表第一の一の2の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年三月三〇日ころから同年六月四日ころまでの間、前後数回にわたり、目黒及び板橋において、前記L株式会社分室に架電し、前記山中に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もないのにこれがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年四月二日ころから同年六月五日ころまでの間、前後四回にわたり、同都同区日本橋箱崎町三丁目一二番地所在の第五セントラルビルの流通外二か所において、同人から株式買付資金又は株式買付資金の融資保証金名下に現金合計九、九一〇万円、小切手一通(金額五、〇〇〇万円)及びアラビア石油株式一〇〇株券等株券合計二四通(時価合計二、四七九万円相当)を振込入金させ又はその交付を受けてこれを騙取し

二 1 中江、加藤、渋谷、目黒及び品川は、岩田秀夫及び大山四郎と共謀の上、別紙犯罪一覧表第一の二の1の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年八月二日ころ及び同月四日ころの二回にわたり、右岩田及び大山において、同都台東区《番地省略》所在のUハイツ△△号室の江堀芳行方に架電し、あるいは同都中央区日本橋茅場町一丁目一一番三号所在の岡本ビルの東証信において、右江堀に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同月四日ころ、右東証信において、同人から株式買付資金名下に現金五〇万円及び小切手一通(金額七〇〇万円)の交付を受けてこれを騙取し

2 中江、加藤、渋谷、目黒、大田及び荒川は、共謀の上、別紙犯罪一覧表第一の二の2の欺罔日時、場所欄記載のとおり、同月一七日ころから同月三〇日ころまでの間、前後四回にわたり、大田及び荒川において、前記江堀方に架電し、あるいは前記兜町中央ビルの東クレにおいて、右江堀に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もなく、かつ、株式売買の注文を証券会社に取り次ぐ意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同月一八日ころから同月三〇日ころまでの間、前後三回にわたり、右東クレにおいて、同人から株式買付資金又は株式買付資金の融資保証金名下に現金合計九万九、八五〇万円、小切手二通(金額合計二、一六〇万円)及び東洋通信機株式一、〇〇〇株券等株券合計六三通(時価合計二、二四一万五、〇〇〇円相当)の交付を受けてこれを騙取し

三 中江、加藤、渋谷、目黒、品川及び葛飾は、大山四郎と共謀の上、別紙犯罪一覧表第一の三の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年一〇月一〇日ころから同年一二月二四日ころまでの間、前後六回にわたり、葛飾及び右大山において、神奈川県横浜市中区《番地省略》所在の河本定利方に架電し、あるいは前記投資ジャーナル外一か所において、右河本に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もなく、かつ、株式売買の注文を証券会社に取り次ぐ意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年一〇月一三日ころから同年一二月二六日ころまでの間、前後五回にわたり、前記東証信外一か所において、同人から株式買付資金又は株式買付資金の融資保証金名下に現金合計四九〇万円(葛飾については、同表番号2を除く。)を振込入金させ又はその交付を受けてこれを騙取し

四 中江、加藤、渋谷、目黒、品川及び足立は、石川清一と共謀の上、別紙犯罪一覧表第一の四の欺罔日時、場所欄記載のとおり、足立五八年一一月一四日ころから同年一二月二二日ころまでの間、前後三回にわたり、油本及び右石川において、山梨県大月市《番地省略》所在の大田善一方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年一一月一九日ころから同年一二月二七日ころまでの間、前後四回にわたり、前記東証信外一か所において、同人から株式買付資金又は株式買付資金の融資保証金名下に現金合計九二三万六、〇〇〇円及び淀川製鋼所株式一、〇〇〇株券等株券合計三〇通(時価合計八六四万五、〇〇〇円相当)(足立については、同表番号2を除く。)を振込入金させ又はその交付を受けてこれを騙取し

五 中江、加藤、渋谷、目黒及び大田は、共謀の上、別紙犯罪一覧表第一の五の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年一月九日ころから同年八月一〇日ころまでの間、前後十数回にわたり、目黒及び大田において、千葉県東金市《番地省略》所在の川西一雄方に架電し、あるいは前記投資ジャーナルにおいて、右川西に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もなく、かつ、株式売買の注文を証券会社に取り次ぐ意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年一月一二日ころから同年八月一三日ころまでの間、前後一一回にわたり、東京都中央区日本橋兜町四番三号所在の第一勧業銀行兜町支店外四か所において、同人から株式買付資金又は株式買付資金の融資保証金名下に現金合計一億四、〇四二万六、〇〇〇円及び日本製鋼所株式一、〇〇〇株券等株券合計六〇通(時価合計二、〇〇五万円相当)(大田については、同表番号8及び9を除く。)を振込入金させ又はその交付を受けてこれを騙取し

六 中江、加藤、渋谷、目黒及び板橋は、関利夫と共謀の上、別紙犯罪一覧表第一の六の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年四月二〇日ころから同年五月七日ころまでの間、前後四回にわたり、板橋及び右関において、茨城県勝田市《番地省略》所在の小川昭一方外一か所に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年四月二五日ころ及び同年五月一一日ころの二回にわたり、東京都中央区日本橋蛎殻町一丁目二八番五号所在の富士銀行蛎殻町支店において、同人から株式買付資金名下に現金合計九一六万八、九六〇円を振込入金させてこれを騙取し

第二(昭和六〇年七月二七日付け起訴状公訴事実関係)

一 中江、加藤、渋谷、目黒及び大田は、上田久及び藤木正と共謀の上、別紙犯罪一覧表第二の一の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年二月一六日ころから同年八月一八日ころまでの間、前後七回にわたり、中江、目黒、右上田及び右藤木において、同都調布市柴崎《番地省略》所在の清川広行方に架電し、あるいは前記投資ジャーナル外一か所において、右清川に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もなく、かつ、株式売買の注文を証券会社に取り次ぐ意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年二月一六日ころから同年八月二〇日ころまでの間、前後四回にわたり、同都中央区日本橋兜町九番二号所在の兜町第二ビルの東クレ外一か所において、同人から株式買付資金又は株式買付資金の融資保証金名下に小切手三通(金額合計四、四一二万五、〇〇〇円)及び京都セミラック株式一、〇〇〇株券等株券合計一七通(時価合計三、八六五万円相当)(大田については、同表番号4を除く。)の交付を受けてこれを騙取し

二 中江、加藤、渋谷、目黒、大田及び足立は、共謀の上、別紙犯罪一覧表第二の一の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年八月九日ころから同年一〇月六日ころまでの間、前後五回にわたり、足立及び大田において、同都日野市《番地省略》所在の赤坂一夫方に架電し、あるいは前記投資ジャーナル外一か所において、右赤坂に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もないのにこれがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年八月一〇日ころから同年一〇月七日ころまでの間、前後三回にわたり、前記兜町中江ビルの東クレ外二か所において、同人から株式買付資金の融資保証金名下に現金六〇万円及び関東電化工業株式一、〇〇〇株券等株券合計一五通(時価合計八〇一万円相当)を振込入金させ又はその交付を受けてこれを騙取し

三 中江、加藤、渋谷、目黒、大田及び葛飾は、共謀の上、別紙犯罪一覧表第二の三の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年一一月一四日ころから昭和五九年二月二一日ころまでの間、前後四回にわたり、葛飾において、埼玉県川越市《番地省略》所在の小谷昇一方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式売買の注文を証券会社に取り次ぐ意思もないのにこれがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、昭和五八年一一月一五日ころから昭和五九年二月二二日ころまでの間、前後四回にわたり、東京都中央区日本橋兜町六番七号所在の富士銀行兜町支店において、同人から株式買付資金名下に現金合計一、六八〇万円を振込入金させてこれを騙取し

四 中江、加藤、渋谷、目黒、大田及び荒川は、谷村芳次と共謀の上、

1  別紙犯罪一覧表第二の四の1の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年一〇月下旬ころから同年一二月一四日ころまでの間、前後五回にわたり、荒川及び右谷村において、秋田県秋田市《番地省略》所在の林不動産株式会社に架電し、あるいは同市《番地省略》所在の料亭「P」外二か所において、林兼吉に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もなく、かつ、株式売買の注文を証券会社に取り次ぐ意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年一一月一四日ころ及び同年一二月一四日ころの二回にわたり、右林不動産株式会社において、同人から株式買付資金の融資保証金名下に日本郵船株式一、〇〇〇株券合計八〇〇通(時価合計一億九、四〇〇万円相当)の交付を受けてこれを騙取し

2  別紙犯罪一覧表第二の四の2の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年一月一一日ころから同年二月二八日ころまでの間、前後三回にわたり、荒川及び前記谷村において、東京都新宿区《番地省略》所在のSスカイプラザ○○室外一か所に架電し、あるいは同都港区《番地省略》所在のMビル一階のメンバーズクラブ「R」において、株式会社林兼代表取締役林兼吉に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式売買の注文を証券会社に取り次ぐ意思もないのにこれがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年一月二一日ころ及び同年三月五日ころの二回にわたり、同都中央区日本橋茅場町一丁目六番一二号所在の太陽神戸銀行日本橋支店において、同人から株式買付資金名下に現金合計一億円を振込入金させてこれを騙取し

3  別紙犯罪一覧表第二の四の3の欺罔日時、場所欄記載のとおり、同年三月二一日ころから同年五月七日ころまでの間、前後三回にわたり、荒川において、前記林不動産株式会社に架電し、甲株式会社代表取締役林兼吉に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年三月二四日ころ及び同年五月八日ころの二回にわたり、前記太陽神戸銀行日本橋支店において、同人から株式買付資金名下に現金合計一億二、五〇三万二、六〇〇円を振込入金させてこれを騙取し

五 中江、加藤、渋谷、目黒及び品川は、古川和夫及び近藤一郎と共謀の上、別紙犯罪一覧表第二の五の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年一月一九日ころから同年二月四日ころまでの間、前後三回にわたり、右古川及び右近藤において、千葉県八日市場市《番地省略》所在の大木克己方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年一月二〇日ころ及び同年二月六日ころの二回にわたり、前記富士銀行兜町支店において、同人から株式買付資金名下に現金合計四六四万円を振込入金させてこれを騙取し、

六 中江、加藤、渋谷、目黒及び板橋は、齋藤正治と共謀の上、別紙犯罪一覧表第二の六の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年八月二日ころ、右齋藤において、千葉県茂原市《番地省略》所在の三井利一方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年八月三日ころ、東京都中央区日本橋茅場町一丁目六番一〇号所在の第一勧業銀行茅場町支店において、同人から株式買付資金名下に現金四一〇万円を振込入金させてこれを騙取し

第三(昭和六〇年八月一五日付け起訴状公訴事実関係)

一 中江、加藤、渋谷、目黒、大田及び荒川は、谷村芳次と共謀の上、

1  別紙犯罪一覧表第三の一の1の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年一一月二一日ころから昭和五九年四月三日ころまでの間、前後九回にわたり、荒川及び右谷村において、秋田県秋田市《番地省略》所在の乙株式会社に架電し、あるいは東京都千代田区紀尾井町四番一号所在のホテルニューオータニにおいて、右乙株式会社代表取締役青木茂に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、昭和五八年一一月二一日ころから昭和五九年四月四日ころまでの間、前後六回にわたり、前記第一勧業銀行兜町支店において、同人から株式買付資金名下に現金合計三億六、六七八万円を振込入金させてこれを騙取し

2  別紙犯罪一覧表第三の一の2の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年一月一九日ころから同年五月三〇日ころまでの間、前後四回にわたり、荒川及び前記谷村において、前記乙株式会社に架電し、あるいは前記ホテルニューオータニにおいて、青木茂に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年一月二三日ころから同年六月七日ころまでの間、前後三回にわたり、前記第一勧業銀行兜町支店において、同人から株式買付資金名下に現金合計三、四六九万四、七五〇円を振込入金させてこれを騙取し

二 1 中江、加藤、渋谷、目黒及び品川は、大江マサ及び高木利夫と共謀の上、別紙犯罪一覧表第三の二の1の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年三月二三日ころから同年六月二八日ころまでの間、前後七回にわたり、右大江及び右高木において、同都杉並区《番地省略》所在の加藤久子方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年三月二四日ころから同年六月二八日ころまでの間、前後六回にわたり、前記第一勧業銀行茅場町支店外一か所において、同人から株式買付資金名下に現金合計一、〇一七万二、四三九円を振込入金させてこれを騙取し

2  中江、加藤、渋谷、目黒及び板橋は、大江マサと共謀の上、別紙犯罪一覧表第三の二の2の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年八月一五日ころ、右大江において、前記加藤久子方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年八月二〇日ころ、前記第一勧業銀行茅場町支店において、同人から株式買付資金名下に現金三三八万六、八二五円を振込入金させてこれを騙取し

三 中江、加藤、渋谷、目黒、板橋及び葛飾は、共謀の上、別紙犯罪一覧表第三の三の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年四月一三日ころ、葛飾において、埼玉県越谷市《番地省略》所在の千秋民男方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同日ころ、前記富士銀行蛎殻町支店において、同人から株式買付資金名下に現金二一五万円を振込入金させてこれを騙取し

第四(昭和六〇年九月二〇日付け起訴状公訴事実第一から第八まで関係)

一 中江、加藤、渋谷、目黒及び大田は、小田和夫と共謀の上、別紙犯罪一覧表第四の一の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年二月二〇日ころ及び同月二二日ころの二回にわたり、右小田において、東京都江戸川区《番地省略》所在の小柴一藏方に架電し、あるいは前記投資ジャーナルにおいて、右小柴に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らが用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もなく、かつ、株式売買の注文を証券会社に取り次ぐ意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同月二一日ころ及び同月二五日ころの二回にわたり、前記第一勧業銀行兜町支店外一か所において、同人から株式買付資金又は株式買付資金の融資保証金名下に現金合計七三〇万円を振込入金させ又はその交付を受けてこれを騙取し

二 中江、加藤、渋谷、目黒及び大田は、共謀の上、別紙犯罪一覧表第四の二の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年八月一八日ころ及び同年九月八日ころの二回にわたり、目黒において、静岡県裾野市《番地省略》所在の吉村文夫方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年八月一九日ころ及び同年九月九日ころの二回にわたり、前記第一勧業銀行兜町支店において、同人から株式買付資金名下に現金合計二、二〇〇万円を振込入金させてこれを騙取し

三 中江、加藤、渋谷、目黒及び大田は、齋藤正治及び藤木正と共謀の上、別紙犯罪一覧表第四の三の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年一〇月二七日ころから昭和五九年二月九日ころまでの間、前後三回にわたり、右齋藤及び右藤木において、東京都港区《番地省略》所在のQハイツ○○号の飯岡良昭方に架電し、あるいは前記兜町第二ビルの東クレにおいて、右飯岡良昭及び飯岡正夫に対し、前同様、同人らから入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人らに譲渡すべき株式を保有している事実も同人らに株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人らのために株式買付資金を融資する意思も能力もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人らをしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、昭和五八年一〇月三一日ころから昭和五九年二月一〇日ころまでの間、前後三回にわたり、右東クレにおいて、右飯岡正夫から株式買付資金の融資保証金名下にトヨタ自動車株式一、〇〇〇株券等株券合計三〇通(時価合計一、二四二万九、二六〇円相当)の交付を受けてこれを騙取し

四 1 中江、加藤、渋谷、目黒及び品川は、尾関秀一、近藤一郎及び大山四郎と共謀の上、別紙犯罪一覧表第四の四の1の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年一二月二三日ころから昭和五九年一月一〇日ころまでの間、前後五回にわたり、右尾関、右近藤及び右大山において、神奈川県川崎市川崎区《番地省略》所在の中田良一方に架電し、あるいは前記東証信において、右中田及び小山高広に対し、前同様、同人らから入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人らに譲渡すべき株式を保有している事実も同人らに株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人らをしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、昭和五八年一二月二七日ころ及び昭和五九年一月一〇日ころの二回にわたり、前記東証信において、右小山から株式買付資金名下に現金合計九八六万四、六九八円の交付を受けてこれを騙取し

2  中江、加藤、渋谷、目黒及び品川は、尾関秀一及び大山四郎と共謀の上、別紙犯罪一覧表第四の四の2の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年一月一九日ころから同月二七日ころまでの間、前後三回にわたり、右尾関及び右大山において、前記中田良一方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もないのにこれがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同月二七日ころ及び同年二月七日ころの二回にわたり、前記東証信において、同人から株式買付資金の融資保証金名下にダーバン株式一、〇〇〇株券等株券合計一六通(時価合計四一五万八、〇〇〇円相当)及び太平洋クラブ会員資格保証金預り証書一通(時価四五〇万円相当)の交付を受けてこれを騙取し

五 中江、加藤、渋谷、目黒及び板橋は、大木吉彦と共謀の上、別紙犯罪一覧表第四の五の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年二月二二日ころから同年三月七日ころまでの間、前後四回にわたり、右大木において、東京都目黒区《番地省略》所在のT病院××号室の飯田三生に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年二月二三日ころから同年三月一四日ころまでの間、前後四回にわたり、前記第一勧業銀行茅場町支店において、同人から株式買付資金名下に現金合計三、八二〇万円を振込入金させてこれを騙取し

六 1 中江、加藤、渋谷、目黒及び板橋は、細川紀夫、菅原勇、小泉澄夫及び梶谷康雄と共謀の上、別紙犯罪一覧表第四の六の1の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年三月一一日ころから同年七月五日ころまでの間、前後一〇回にわたり、右細川、右菅原、右小泉及び右梶谷において、栃木県日光市《番地省略》所在の河野常雄方に架電し、あるいは同所所在の社団医療法人F会において、右河野に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もないのにこれがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年三月一五日ころから同年七月一一日ころまでの間、前後七回にわたり、前後流通において、同人から株式買付資金の融資保証金名下に松下通信工業株式一、〇〇〇株券等株券合計一二八通(時価合計六、六八二万六、五〇〇円相当)の交付を受けてこれを騙取し

2  中江、加藤、渋谷、目黒及び大田は、野田充宏と共謀の上、別紙犯罪一覧表第四の六の2の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年四月一八日ころ、右野田において、前記河野常雄方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もないのにこれがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同月二三日ころ、前記兜町第二ビルの東クレにおいて、同人から株式買付資金の融資保証金名下に本田技研工業株式一、〇〇〇株券等株券合計六通(時価合計五六〇万円相当)の交付を受けてこれを騙取し

七 中江、加藤、渋谷、目黒及び板橋は、川崎彦三と共謀の上、別紙犯罪一覧表第四の七の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年四月二七日ころから同年七月九日ころまでの間、前後三回にわたり、右川崎において、東京都狛江市《番地省略》所在の△△寿司に架電し、大崎秀一に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年五月一日ころから同年七月一一日ころまでの間、前後四回にわたり、前記第一勧業銀行茅場町支店において、同人から株式買付資金名下に現金合計三三六万円を振込入金させこれを騙取し

八 中江、加藤、渋谷、目黒及び板橋は、川崎彦三らと共謀の上、別紙犯罪一覧表第四の八の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年五月七日ころから同月一八日ころまでの間、前後六回にわたり、右川崎らにおいて、同都江東区《番地省略》所在の安原三次方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同月八日ころから同月一八日ころまでの間、前後三回にわたり、前記第一勧業銀行茅場町支店において、同人から株式買付資金名下に現金合計一、一九四万五、八五〇円を振込入金させてこれを騙取し

第五(昭和六〇年九月三〇日付け起訴状公訴事実関係)

一 1 中江、加藤、渋谷、目黒及び品川は、村木豊及び森弘一と共謀の上、別紙犯罪一覧表第五の一の1の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年六月中旬から同年八月二六日ころまでの間、前後五回にわたり、右村木及び右森において、同都町田市《番地省略》所在の金田昌二方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もなく、かつ、株式売買の注文を証券会社に取り次ぐ意思も取り次いで損害が発生した事実もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年七月六日ころから同年八月二六日ころまでの間、前後三回にわたり、前記富士銀行兜町支店において、同人から株式売買の精算金又は株式買付資金の融資保証金名下に現金合計一、七五〇万円(目黒については、同表番号1及び2を除く。)を振込入金させてこれを騙取し

2  中江、加藤、渋谷、目黒及び板橋は、谷村芳次及び島田敦と共謀の上、別紙犯罪一覧表第五の一の2の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年三月一三日ころから同年五月一八日ころまでの間、前後七回にわたり、板橋、右谷村及び右島田において、神奈川県川崎市《番地省略》所在の株式会社D製作所外一か所に架電し、金田昌二に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年三月一五日ころから同年五月一九日ころまでの間、前後四回にわたり、前記富士銀行蛎殻町支店において、同人から株式買付資金名下に現金合計五、三〇〇万円を振込入金させてこれを騙取し

二 1 中江、加藤、渋谷、目黒及び大田は、内山明と共謀の上、別紙犯罪一覧表第五の二の1の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年七月一三日ころ及び同月一四日ころの二回にわたり、大田及び右内山において、東京都東村山市《番地省略》所在の金崎真吾方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同月一八日ころ、前記兜町中央ビルの東クレにおいて、同人から株式買付資金名下に現金二三四万六、三六〇円の交付を受けてこれを騙取し

2  中江、加藤、渋谷、目黒及び板橋は、齋藤正治と共謀の上、別紙犯罪一覧表第五の二の2の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五九年五月七日ころから同年七月二〇日ころまでの間、前後四回にわたり、右齋藤において、前記金崎真吾方に架電し、あるいは前記投資ジャーナルにおいて、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もなく、かつ、株式売買の注文を証券会社に取り次ぐ意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同年五月八日ころから同年七月二〇日ころまでの間、前後四回にわたり、前記富士銀行蛎殻町支店外一か所において、同人から株式買付資金の融資保証金名下に現金三〇〇万円、関東電化株式一、〇〇〇株券等株券九通(時価合計一、〇九六万円相当)及び転換社債二通(時価合計一〇〇万円相当)を振込入金させ又はその交付を受けてこれを騙取し

三 中江、加藤、渋谷、目黒、品川及び足立は、森弘一と共謀の上、別紙犯罪一覧表第五の三の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年一〇月六日ころから昭和五九年四月二七日ころまでの間、前後四回にわたり、足立及び右森において、宮崎県宮崎市《番地省略》所在の田村一也方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もないのにこれがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、昭和五八年一〇月一二日ころから昭和五九年四月二八日ころまでの間、前後三回にわたり、前記第一勧業銀行茅場町支店において、同人から株式買付資金又は株式買付資金の融資保証金名下に現金合計二、一一〇万円を振込入金させてこれを騙取し

四 中江、加藤、渋谷、目黒、品川及び足立は、石川清一と共謀の上、別紙犯罪一覧表第五の四の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年一一月一七日ころ及び同月一八日ころの二回にわたり、足立及び右石川において、岡山県岡山市《番地省略》所在の大石竹男方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も、将来同人のために保有する事実も、同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、あるいは同人のために株式買付資金を融資する意思も能力もなく、かつ、株式売買の注文を証券会社に取り次ぐ意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、同月二四日ころ、前記東証信外一か所において、同人から株式買付資金又は株式買付資金の融資保証金名下に現金二九〇万円及び日産化学株式一、〇〇〇株券等株券二二通(時価合計六三八万四、〇〇〇円相当)を振込入金させ又はその交付を受けてこれを騙取し

五 中江、加藤、渋谷、目黒及び品川は、村木豊及び尾関秀一らとの共謀の上、別紙犯罪一覧表第五の五の欺罔日時、場所欄記載のとおり、昭和五八年一二月九日ころから昭和五九年四月上旬ころまでの間、前後四回にわたり、右村木及び右尾関らにおいて、東京都立川市《番地省略》所在の広橋一男方に架電し、同人に対し、前同様、同人から入手する金員は自己らの用途に充てる意図であるのにこれを秘し、同人に譲渡すべき株式を保有している事実も同人に株式を譲渡する意思もないのにこれらがあるように装い、同表欺罔文言欄記載のとおりの虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よって、同表騙取欄記載のとおり、昭和五八年一二月一四日ころ及び昭和五九年五月八日ころの二回にわたり、前記協和銀行茅場町支店外一か所において、同人から株式買付資金名下に現金合計一、八三八万円を振込入金させてこれを騙取し

たものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の主張に対する判断)

第一弁護人の主張

一 中江、加藤、渋谷及び板橋の弁護人(以下「中江らの弁護人」という。)の主張

中江らの弁護人は、大要、

1 被告人らが、判示各事実について、顧客である被害者らに対し、その注文どおりに株式の売買を証券会社に取り次ぐ訳ではないのに取り次ぐように装い、あるいは被害者らに譲渡する株式を保有する訳ではないのに保有するように装い、判示のとおり、被害者らに、東証信等(以下「証券金融」ということもある。)が融資して注文どおり顧客からの株式売買の注文を証券会社に取り次ぐ(以下「一〇倍融資」ということがある。)旨、あるいは投資ジャーナルが所有する株(以下「保有株」あるいは「自社株」ということがある。)を時価より安い株価で譲渡する(以下「分譲」ということがある。)旨判示のとおりの虚言を用いていたこと、また、被害者らから、株式買付資金、株式買付資金の融資保証金等として、判示のとおりの現金、株券等の交付を受けたことは事実であるが、

(一) 中江らは、一〇倍融資や分譲を始めた当初から顧客からの注文を証券会社に取り次がないことを考えていた訳ではない、また、分譲する株を所有しなかった訳ではない、東証信の営業を開始した当初は、一〇倍融資については顧客からの注文はすべてその注文どおりに証券会社に取り次ぐつもりであったものであり、現実に取り次いでいた、分譲についても当初は保有株を譲渡していた、

(二) 顧客からの注文を証券会社に取り次がなくなったり、あるいは譲渡する株と保有株とが対応しなくなった以後も、被告人らは、顧客から請求があったときは、その請求どおりきちんと精算するつもりであったものであり、被告人らは顧客の請求どおりきちんと精算すればよいと考えていた、そして、中江の個人資産を含む投資ジャーナルグループ全体の資産(以下、単に「投資ジャーナルの資産」ということがある。)は、一〇倍融資を始める前後を通じて、十分顧客からの精算の請求に応じ得る状況にあり、昭和五九年二月末までは顧客からの精算の請求にはすべて応じてきていた、すなわち、被告人らには精算の意思及び能力が十分あったものであり、したがって、被告人らには被害者らから現金、株券等を騙取する意思はなかった、

(三) 本件で被害者とされている各顧客は、いずれも株式の売買によって利益を得ることを目的とするものであり、株式の所有を目的とするものではない、したがって、被害者らとすれば、請求に応じてきちんと精算をしてくれれば足り、注文を証券会社に取り次がないとか、分譲する株式を保有しないとかということは問題でない、被告人らに被害者らに対する虚言があったことは事実であるが、被告人らの右虚言は許されたものというべきである、

(四) また、被告人らに被害者らに対する虚言があったとしても、本件の被害者らの目的は右のとおりであり、被告人らに被害者らの目的に沿う意思が確実に存するところの本件については、詐欺罪は成立しないというべきである、

2 被告人らに、一〇倍融資又は分譲により被害者らから現金、株券等を騙取することの共謀はない、

(一) 殊に、渋谷は、投資ジャーナルにおける総務関係の仕事を担当していたが、営業には全く関係しておらず、投資ジャーナルないし東証信等証券金融の営業の内容を承知する立場にはなかった、渋谷が一〇倍融資において顧客からの注文をその注文どおりに証券会社に取り次いでいないことを知ったのは昭和五九年四月になってはじめてであり、また、投資ジャーナルで分譲という営業をしていることを知ったのも同じころであり、投資ジャーナルが分譲している株券を保有していないなどということは最後まで全く知らなかった、渋谷の投資ジャーナルにおける行為や役割は本件とは無関係であるというべきであり、したがって、渋谷は無罪である、

(二) また、板橋は、昭和五九年二月から営業を開始した流通に関係したものであるが、流通の開業直前に、一〇倍融資について顧客からの注文をその注文どおりに証券会社に取り次がないことを知ったが、板橋の仕事の内容は、売買依頼報告書等の作成、その顧客への送付、それに伴う入金等の単純な事務処理手続のみであり、詐欺の共同正犯として責任を問われるようなものではない、板橋にこのような営業を制止させ、あるいはこのような営業から離脱することを期待することは困難である、また、分譲についても、昭和五九年四月ころから、投資ジャーナルが分譲する株を保有するかどうか不安を抱くようになったが、右のとおりの投資ジャーナルにおける板橋の地位、役割からしても、板橋が詐欺の共同正犯として責任を問われるものでないことは明らかであり、したがって、板橋は無罪である、

3 捜査段階における被告人らの供述には、右と異なる説明をし、本件について詐欺罪の成立を認める旨の供述をするものがあるが、これらの捜査官に対する供述調書は、いずれもその任意性が認められないものであるか、又は信用性が認められないものである

旨主張する。

二 目黒の弁護人の主張

目黒の弁護人は、判示の各事実のうち、目黒自身又は目黒の部下である目黒班の班員が直接関係した事実については、目黒に中江らとの共謀による詐欺罪が成立することはやむを得ないとしても、その他の目黒又は目黒班の班員が直接関係しない事実については、中江らと共謀した事実もなく、また、目黒の投資ジャーナルにおける地位、役割、仕事の内容等からしても、目黒に、中江らとの共謀による責任を含めて、責任を問われるいわれはない、目黒の捜査段階における供述には、判示のすべての事実について自らの責任を認めるものがあるが、これらの捜査官に対する供述調書はいずれも信用性がないものである旨主張する。

三 大田の弁護人の主張

大田の弁護人は、

1 大田は、中江らとの間で、一〇倍融資又は分譲という方法で被害者らから現金、株券等を騙取することの共謀をしたことはない、大田が、一〇倍融資において顧客からの注文どおりに証券会社に取り次いでいないことを知ったのは昭和五八年四月の時点であり、また、分譲について投資ジャーナルに顧客に譲渡する株式を所有しないことを知ったのは昭和五九年五月の時点である、

2 判示のとおり、顧客である被害者らに対する虚言があったことは事実であるが、大田としては、投資ジャーナルにおいて、顧客から精算の請求があれば確実にこれに応じるものと考えており、昭和五九年二月末まで確実に顧客からの精算の請求に応じていた実績からしても、精算の請求に応じ得る能力は十分あるものと考えていた、大田には判示の被害者らから交付を受けた現金、株券等について不法領得の意思はない、また、被害者らの目的は、一〇〇パーセント株の売買による利食いということにあることからしても、被害者らに錯誤によって現金、株券等を交付したということはない、したがって、大田は無罪である、

3 大田の捜査段階における供述には、右と異なる説明をし、自己の詐欺罪の成立を認める旨の供述をするものがあるが、これらの捜査官に対する供述調書はいずれも信用性がないものである

旨主張する。

第二弁護人らが主張する本件の争点

右弁護人らの主張からも明らかなとおり、弁護人らが主張する本件の主要な争点は、おおよそ次の諸点にあるものと考えられる。

(一) 中江が一〇倍融資及び分譲を始めた動機、意図は何であったか。一〇倍融資において、営業開始当初は、顧客からの注文を全部その注文どおりに証券会社に取り次ぐ意思があったか。また、分譲を始めた当初は保有株を顧客に譲渡する意思であったか。

(二) 中江の個人資産を含む投資ジャーナルグループ全体の資産及び負債の状況はどうであったか。東証信の開業前の状況はどうか。また、開業後の状況はどうか。

(三) 被告人らに、顧客からの精算の請求に確実に応じる意思及び能力があったか。

(四) 被告人らの被害者らに対する欺罔は許される欺罔か。

(五) 被告人らに被害者らからの精算の請求に確実に応ずる意思がある場合には、詐欺罪は成立しないか。

(六) 一〇倍融資及び分譲についての被告人らの共謀はどうか。

(1) 渋谷の認識及び責任はどうか。

(2) 目黒の責任の及ぶ範囲はどうか。

(3) 大田の認識はどうか。

(4) 板橋の認識及び責任はどうか。

(七) 被告人らの捜査段階における供述調書の任意性ないし信用性はどうか。

第三弁護人らが主張する法律上の争点についての当裁判所の判断

そこで、以下、当裁判所の判断を示すこととするが、まず、弁護人らが法律上の争点として主張する、本件において被告人らが顧客である被害者らの目的に沿って確実に精算する意思及び能力がある場合には詐欺罪が成立しないとする点について、当裁判所の判断を示すこととする。

一 中江らの弁護人及び大田の弁護人は、この点について、前記のとおり、被告人らに被害者らに対する判示のとおりの虚言があったことは事実であるが、本件の被害者らは、いずれも株式の売買によって利益を得ることを目的とするものであり、株式の所有を目的とするものではない、したがって、被害者らとすれば、請求に応じてきちんと精算してくれれば足り、注文を証券会社に取り次ぐかどうかとか、譲渡する株式を保有しているかどうかということは問題ではない、したがって、本件において、被告人らに被害者らに対する虚言があったとしても、被告人らには被害者らの目的に沿って確実に返済する意思及び能力がある場合には詐欺罪は成立しないと解すべきである旨主張する。

二 しかしながら、本件の被害者らの目的が弁護人らの主張するとおり株式の売買によって利益を得ることにあったとしても、投資ジャーナルに将来被害者らから精算の請求があった場合にはこれに確実に応じ得ると信用できるような財産的裏付けとなるものがあり、しかも、それが被害者らにも示されているような場合であればともかく、そのようなものがない本件の場合において(仮に、投資ジャーナルにおいて大量の株券等を保有し、中江らがこれによって顧客への返済を考えたとしても、被害者らにとってそのことを正確に承知し得る材料は全くない。また、被害者らにとって、その株券で精算を受け得るとの保証はない。)、被害者らが、自らの投資ジャーナルへ注文する株式は証券会社には取り次がれず、また、一割程度も安く分譲するとしている株式は投資ジャーナルでは保有されておらず、投資ジャーナルを通じて、あるいは投資ジャーナルとの間の株式の取引は、いずれも現実に行われるものではなく、すべて投資ジャーナルにおける計算上のものにすぎないという事実を承知した場合に、被害者らが被告人らに判示の現金、株券等を交付しなかったことは、被害者らの供述をまつまでもなく、中江を除くその余の被告人らもこれを認めるところであって(中江は多くの被害者は仮に事実を承知したとしても交付したとするが、到底首肯できない。このことは、昭和五八年五月ころ、東証信では顧客からの注文を証券会社に取り次いでいないのではないかとして報道機関からの取材の申込みがあり、中江がこれに応対しているが、その後約一か月間は東証信で顧客からの注文を証券会社に取り次ぐことにしていることからも明らかである。)、明らかであるというべきであり、すなわち、被害者らは、被告人らの判示のような虚言を誤信したがために、被告人らに判示の現金、株券等を交付したことは明らかであって、被害者らに錯誤があり、また、被告人らの虚言と被害者らの現金、株券等の交付との間に因果関係があることは明らかであること、被告人らにおいてもこのことを十分認識しながら、あえて、中江が行う株式の取引の資金を集める等のため、判示のとおり、被害者らに虚言を用いて、被害者らを欺罔し、被害者らから現金、株券等の交付を受けていたことは明らかであるから、被告人らの詐欺の犯意の点において欠けるところはなく、もちろん、被告人らに騙取の意思がなかったとか、不法領得の意思がなかったとかといえないことも明らかであることからすれば、他に多くを論ずるまでもなく、本件について詐欺罪が成立することは明らかであるというべきであり、弁護人らが主張するとおり、本件の被害者らの目的は株の売買によって利益を得ることにあり、また、仮に被告人らにおいて被害者らの目的に沿って確実に精算する意思及び能力があったとしても、その点は本件詐欺罪の成立に影響するものでないというべきであって、本件について詐欺罪は成立しないとする弁護人らの主張が到底採用できないことは明らかである。

第四弁護人らが主張する事実に関する争点についての当裁判所の判断

本件において被告人らの被害者らに対する精算の意思及び能力は本件詐欺罪の成立に影響するものではないことは右のとおりであることからすれば、弁護人らが事実に関する争点として主張する投資ジャーナルの経理状況その他多くの点は、本件詐欺罪の成否に直接関係するものではなく、被告人らの犯情に関係するものであることになるが、弁護人らの主張にかんがみ、被告人らの犯情を検討する上で重要であると思われるので、以下、順次、弁護人らが事実に関する争点として主張するところについて、当裁判所の判断を示すこととする。

一 中江が東証信の開業を考えた動機、意図について

1 この点について、中江は、当公判廷において、大要、次のとおり述べ、中江らの弁護人も同旨の主張をする。

「投資ジャーナルにおいて投資顧問の営業を続けていたが、投資顧問の矛盾というものに突き当たった。すなわち、投資顧問の会員が増えることにより、ある銘柄の株を会員に推奨すると、多くの会員がその株に殺到し、株価が急騰する。結局、会員は高値の株を買わされることになる。逆に、売りが殺到して株価が急に下がることもあり、会員が損をすることもある。また、昭和五六年九月に関東電化工業株(以下「関東電化」ということもある。)が暴落し損害を受けたが、その原因の一つは、自分が融資を受けていた証券金融業者(以下「親金融」という。)から情報が漏れたということもある。そこで、右関東電化の暴落ということを契機に考えた。徹底した企業の調査、取材を通じて推奨銘柄を発掘し、事前に、この株を値上がりしないよう工夫しながら、投資ジャーナルにおいて大量に買い付けておく。そして、これを顧客に順次売り渡していく(分譲。株価は急騰しない。)。また、顧客からの売りが殺到しても、投資ジャーナルにおいてこれを買い付けておき、一時に市場につなぐようなことはしないで、時機を見ながら売っていくようにする(急な値下がりはない。)。親金融から情報が漏れないようにするため、自分の方で証券金融を始める。顧客から担保として受け入れた株券を親金融に入れることにより、投資ジャーナルがどのような株を扱っているか分からなくなり、情報が漏れることが防げる。このようなことから、証券金融を始めることにし、東証信の開業を決意した。東証信は、昭和五七年三月下旬に営業を開始し、一〇倍融資ということで広告しているが、営業員らには五倍までの融資に止めるよう厳命している。融資金は親金融から一〇〇億円の融資を受けられる約束を得ている。東証信の営業を開始した当初は、顧客からの注文はすべて注文どおり証券会社に取り次ぐつもりであったものであり、実際に取り次いでいた。また、分譲は、検察官が主張するような契機から始めたものではないし、始めた時期も昭和五七年一〇月からではない。証券金融を始めた当初から分譲は始めるつもりであったものであり、現実には昭和五七年五、六月ころから始めている。投資ジャーナルがあらかじめ大量に買い付けて保有していた株を分譲している。ただ、一〇倍融資については、昭和五七年五月ころから自社の保有株について顧客の買注文は取り次がなくなり、また、売注文はすべて取り次がなくなった。また、同年七月ころ、関東電化についてよい情報を入手したので、顧客の注文をそのまま取り次ぐよりも、関東電化を買った方が有利になると考え、複数の顧問弁護士と相談したところ、同弁護士らから顧客の精算の請求にきちんと応ずれば問題はないとの回答を得た。それで、それ以後は顧客からの買注文もすべて取り次がなくなった。分譲についても、昭和五八年一月中旬ころ、二月一〇日に発売する「月刊投資家」三月号に出す予定の推奨銘柄が出せないことがはっきりしたので、それ以後は分譲する株の銘柄の選定を班長に任せることとした。その時期からは必ずしも保有株を分譲するということにはなっていない。」

2 しかしながら、まず、右の一〇倍融資の点についていえば、

(一) 中江自身の右供述からも明らかなとおり、当初は顧客からの注文はすべて取り次ぐつもりであったとしながら、一〇倍融資の営業を開始してから一か月経過するかしないかのうちに、自社の保有株については顧客の買注文は取り次がないことにしたとか、また、顧客の売注文についてはすべて取り次がないことにしたとし、更に、わずか二か月か三か月しか経過しない昭和五七年七月ころには顧客からの注文はすべて取り次がないことにしたということそのことからしても、中江において、東証信の営業開始当初は顧客からの注文はすべて取り次ぐつもりであったとすることには疑問があること、

(二) しかも、中江が昭和五七年七月ころの時点で右のとおり顧客からの注文をすべて取り次がないことにしたとする理由は、中江の供述するところによれば、前記のとおり、関東電化についてよい情報を入手したので、顧客からの注文を取り次ぐよりその資金で関東電化を買う方が有利であると考えたとか、顧客の注文する株式は投資ジャーナルの推奨銘柄のみではなかったとかというものであって、いずれも格別事情の変更と目されるようなものではなく、当初から当然予想されるものばかりであることからしても、このようなことで、それまでの方針を変更して、顧客からの注文をすべて取り次がないことにしたとする中江の右供述は措信できるものでないことは明らかであること、

(三) 東証信が顧客に融資する場合の利息は、日歩三銭ないし五銭であるが、一方、東証信が親金融であるJ・B・Sから借り入れる場合の利息は日歩六銭であり、完全に逆ざやとなっていること、この点について、中江は、顧客の株式の売買を証券会社に取り次ぐことにより証券会社から得る外務員のバックマージンによって、この利息の逆ざやは十分補てんできる見込みであったとするが、証券会社から受け取る外務員のバックマージン自体、投資ジャーナルの収入源として重要な部分を占めるものであったことが認められることからしても(中江は、ツーバイツーのころは、バックマージンが収入の五割程度を、東証信開業直前は収入の二割五分程度を占めていたという。)、利息の逆ざやの解消にこのような重要な財源を充てることをもくろんで、一〇倍融資営業を計画するとは到底考えられないこと、

(四) 東証信では顧客との間で交わす約諾書を作成しているが、その内容は、当時一〇倍融資を標ぼうしながら、顧客の注文を取り次いでいないことが業界でよく知られていた(中江らももちろん承知していた。)広田忠則の主宰するOリサーチオフィスの使用する約諾書の文言をほぼそのまま踏襲したものにしており、仮に、中江の述べるとおり、顧客の注文をすべてそのとおり取り次ぐということであれば、全く取り次いでいないOリサーチオフィスの約諾書をほぼそのまま踏襲することは不自然であること(もっとも、約諾書等に詳しくないので他を参考にするということも考えられないではないが、中江は、東証信の開業前にも弁護士と相談したとしている。)、しかも、東証信の開業前に中江、加藤及び渋谷の三名が右広田と面談した際、広田は、被告人らに対し、顧客からの注文を取り次がずに将来顧客との間て紛議が生じて言い逃れをするためには、いわゆる相対売買条項が重要であることを話し、中江も加藤及び渋谷に対して東証信の約諾書からこの相対売買条項を落とすことがないよう注意していること(この点、中江は、加藤及び渋谷に相対売買条項について注意したことがないとか、相対売買条項は顧客からの注文を取り次がないということのためのものではないとかとするが、加藤及び渋谷の供述からも、中江の右供述は到底措信できない。)

等の事実からしても、当初は顧客からの注文はすべてそのとおり取り次ぐつもりで東証信の営業を始めたが、まもなく、昭和五七年七月ころから、その方針を変更して、顧客からの注文をすべて取り次がないことにしたとする中江の供述は到底措信することはできず、前掲各証拠によれば、中江は、東証信開業の当初から顧客からの注文はすべて取り次がないつもりであったが、東証信開業後しばらくは顧客からの注文を取り次ぎ、顧客らの動きを見た上で、まもなく予定どおり顧客からの注文をすべて取り次がないことにしたことが明らかであるというべきである。

3 また、いわゆる分譲の点についても、

(一) 中江は、前記のとおり、投資顧問の会員が一時に推奨銘柄に殺到して株価が急騰し、会員が高値の株を買うことになる投資顧問の矛盾を解消するため分譲を始めることにしたとし、自分の考えでは分譲は東証信開業の主要な動機であるという趣旨の説明をしながら、投資ジャーナルにおいていつの時点から分譲が始まったのかは証拠上確定し難い面があるが、中江自身が供述するところによっても、東証信開業後一か月ないし二か月の間は分譲は始められておらず、中江の説明するところには矛盾があり、投資ジャーナルにおける分譲が中江の説明するようなものであったとすることには疑問があること、

(二) 投資ジャーナルの営業の部屋に設置されていたホワイトボードに当日分譲する株の銘柄、株数、株価が書かれていた時期があった(これも次第に銘柄のみというように簡単になった。)ことが認められるが、これと自社の保有株とを対比するような帳簿等が整備されていたことは認められず、この時期においても、中江が説明するように、あらかじめ顧客に分譲するために大量の株式を買い付けておき、この株を顧客に分譲するということを明確に意識して行われていたとすることには疑問があること、

(三) その後、昭和五八年一月ころからは、右ホワイトボードに分譲する株の銘柄等も書かれなくなり、班長(営業員)が勝手に分譲する株を選定し、時価よりおよそ一割程度安い株価で分譲するという方法がとられるようになっているが、この点について、中江は、前記のとおり、昭和五八年二月一〇日発売の「月刊投資家」三月号に発表する予定の推奨銘柄が出せなくなったからとするところであるが、そのようなことが、それまでは保有株を譲渡していたが、それ以後は保有するかどうかに関係なく、班長(営業員)が勝手に株を選び、一割程度という制限はあるものの 勝手に株価を安く決めて分譲するというように、全く方針を変えることとしたとする合理的な理由になるとは到底認められないこと

等からしても、中江が説明するように、分譲は、投資顧問の会員が推奨銘柄に殺到して高値の株を買うことになるという投資顧問の矛盾を解消するためであったとは到底認められず、また、当初は保有株を明確に意識して分譲していたが、その後方針を変更して、保有株に関係のない分譲をするようにしたとすることに疑問があることは明らかである。

4 かえって、前掲各証拠によれば、投資ジャーナルにおいては、営業員らに厳しいノルマを設定し、中江が先頭に立って、厳しくノルマ必達を督励し、一〇倍融資あるいは分譲の方法で(分譲が始まった以後は、顧客からの資金が集まりやすい分譲に集中していたことが認められる。)、顧客から資金を集めることに徹していたことが認められることからしても、単に中江が行う株式の取引の資金を集める等のために、一〇倍融資あるいは分譲と称して、あたかも株式買付資金を融資するか、あるいは時価より一割程度も安い株式を譲渡するかのように装って、顧客から現金、株券等を集めていたことは明らかであるというべきであり、一〇倍融資及び分譲がその当初から中江の説明するようなものでなかったことは明らかである。

二 投資ジャーナルの経理状況について

1 この点について、中江は、当公判廷において、大要、次のとおり述べ、中江らの弁護人もほぼ同旨の主張をする。

「(一) 検察官は、東証信開業前の投資ジャーナルの経理状況は極めてひっ迫していたとするが、そのようなことは全くない。自分は、東証信開業当時の昭和五七年三月ころには、親金融へも入れていない手持ちの株券を五億円以上、一〇億円程度持っていた。このことは検察官から提出されている証拠資料からも明確に証明できる。また、妻K子名義の預金残高からも当時約二、八〇〇万円の預金があったことははっきりしている。検察官は、投資ジャーナルの経理状況がひっ迫し、自分が、昭和五六年一〇月中旬の真夜中に森山愛子の住むマンションを訪ね、愛子に泣きついて、愛子から電力株などを借り受けて苦境を乗り切ったとするが、そのような事実はあり得ない。

(二) また、東証信開業後についても、検察官は、投資ジャーナルの営業収支は、ほぼ全期間にわたって、収入が支出を下回り、赤字経営の状態であったとするが、そのようなことはない。収入は、ほぼ全期間、支出を上回っていた。また、検察官は、ほぼ全期間、投資ジャーナルの資産は、顧客に返戻しなければならない預り金等の額(以下「要返戻額」という。)を下回っており、特に、後半は大幅に下回っていたとするが、そのようなことはない。投資ジャーナルの資産は、全期間、要返戻額を上回っていた。」

2(一) この点についての当裁判所の判断を示すに先立ち 本件の事案の特殊性について若干触れておくこととする。

(二) 検察官提出の資料によると、捜査段階において、投資ジャーナルの経理状況を解明するため、長期間にわたって多大の労力が払われたことが認められる。しかし、

(1) 公表帳簿自体も、税務申告等の関係からか、経理状況を正確に反映するものとは認められないこと、

(2) 投資ジャーナルグループに関係する会社、機関等の経理が多岐にわたるほか、中江個人の計算によるものもあり、これらが入り交じり、複雑になっていること、

(3) 自社株の取引は ほとんど簿外で処理されているが、多数の証券会社で、しかも、顧客の名義を含む種々の名義を用いて、極めて多数の口座で頻繁に行われており、投資ジャーナルに関係する取引口座の掌握が極めて困難であること(捜査段階で六九社の証券会社に関係する二七二口座の投資ジャーナルの取引口座が解明されているが、中江はまだ多数の取引口座が落ちているという。)、

(4) 株価は、日によって、更にその日の時刻によって、大幅に変動することがあるが、多数の銘柄の極めて多数回にわたる株取引による損益を、過去に遡って正確に計算することは多くの場合不可能であるか、不可能に近いこと、

(5) しかも、中江は、いわゆる「のり」、「運用」などということで、多くの関係者の資金を株取引に導入していることがうかがわれるが、これらの株の取引と投資ジャーナルグループないし中江個人の株の取引との区別は難しいこと、

(6) 関係資料の量は、膨大であり、集計する際の転記ミス、集計ミス等も十分予想されること

等からしても、もともとその経理状況の解明には極めて困難な面があり、不十分な結果に終わらざるを得ないことが十分考えられ、現実にも捜査段階では、前記のとおりの長期間にわたる多大の労力にもかかわらず、十分解明できていない点があることは否定できないところがある(多額の不明有価証券、使途不明金等の存在)。

(三) 当裁判所の審理の過程においても、できる限り、その経理状況を解明するため、審理の終結間際まで、検察官の論告が終わった後も弁護人からの申出をいれて、繰り返し事実上の打合せや準備手続を行い、また、検察官から、弁護人から申出があった分を含めて、膨大な量の証拠資料が法廷に提出された。そして、その結果、投資ジャーナルが保有した在庫有価証券(株券)の額その他について、検察官が当初提出していた資料が相当大幅に修正されるというところもあった。しかし、これらも前記のような本件の事案の特殊性からくる経理状況の解明の困難性を克服したものではない。

(四) したがって 本件の投資ジャーナルの経理状況についての検察官が主張する数字や当裁判所の審理を通じて明らかになった数字にも右のような制約があることを前提にして考慮していく必要がある(なお、中江らの弁護人の意見には、本件の経理状況の解明の機会が審理終結の間際となり経理状況の解明が不十分な結果に終わったとか、検察官から十分な証拠の開示が得られなかったとするところがあるが、経理状況を解明するための機会は審理の早い段階から持たれており、また、検察官は、弁護人から申出のある者についてはできる限りこれに応ずる姿勢であったことは明らかであって、弁護人の右意見が当たらないことは明らかである。また、本件の経理状況の解明には前記のとおりの制約があることのほか、経理状況の解明、すなわち、被告人らの顧客に対する返済の意思及び能力は、前記のとおり、本件の詐欺罪の成立に影響するものでないことからしても、本件の経理状況の解明のためにこれ以上の時間を費して審理を続けることに意味があるものとは認められず、この点についての審理が不十分であるとする弁護人の意見が当たらないことも明らかである。)。

3 本件の投資ジャーナルの経理状況の解明には前記のとおりの制約があり、投資ジャーナルの経理状況の数字を正確につかむことは困難であることは前記のとおりであるが、中江及び中江らの弁護人のこの点についての主張は、以下に述べるとおり、到底採用することができないことは明らかである。

(一) 東証信開業前の投資ジャーナルの経理状況

(1) この点について、中江は、前記のとおり、東証信開業当時の昭和五七年三月末の時点で親金融等にも入れていない手持ちの株券が五億円以上、一〇億円程度あった、また、妻K子名義の預金にも約二、八〇〇万円の残高があった、東証信開業当時の投資ジャーナルの経理状況がひっ迫していたということはないとし、それにもかかわらず、東証信開業当時極めてひっ迫しており、その苦境を乗り切るため一獲千金を夢見て東証信を開業したとする検察官の主張は事実をねつ造するものである、東証信開業当時に自分が五億円以上、一〇億円程度の株券を手持ちしていたことは検察官提出の証拠資料からも証明されているとし、種々数字を挙げて説明し、中江らの弁護人もほぼ中江の右説明に沿った主張をする。

(2) しかしながら、例えば、中江がその説明において主証明①として挙げ、中江らの弁護人も昭和六二年五月二九日付け報告書(二)等において掲げるところの、昭和五七年八月にその評価額(以下、株券等の額はいずれも評価額)が一六億九、六七九万円余にのぼる株券等が新たに親金融へ差し入れられていることを基にして、これから逆算すると昭和五七年三月末当時少なくとも一〇億九、三四二万円余の株券を手持ちしていたことは明らかであるとする点についてみても、以下に述べるような不自然な点が認められるところであり、これらの数字を基にした中江の説明ないし中江らの弁護人の主張に説得力があるとは到底いえないことは明らかである。

すなわち、中江及び中江らの弁護人は、昭和五七年七月末の投資ジャーナルから親金融に差し入れられていた株券等は一二億二、九七〇万円余であったのに、同年八月末のそれは二九億二、六五〇万円余であり 同年八月に新たに一六億九、六七九万円余の株券等が投資ジャーナルから親金融へ差し入れられているが、同年四月以降の顧客からの預り株、投資ジャーナルの買越株、証券会社等への差入株の増減を考慮すれば、中江が東証信開業時の昭和五七年三月末当時に少なくとも一〇億九、三四二万円余の株券を手持ちしていたことは計算上からも明らかであるとする。

しかしながら、中江及び中江らの弁護人が投資ジャーナルから親金融へ差し入れていた株券等の額の根拠とする司法警察員作成の昭和六〇年八月二〇日付け経理解明捜査報告書(以下「甲一八二号」という。)添付資料六―八によれば 昭和五七年七月から同年一〇月までの投資ジャーナルの親金融からの借入残額、その担保としての差入株数及び株券等の評価額は、以下のような数字になっている。

(年・月)(末現在) (借入残額)(千円) (差入株数)(千円) (評価額)(千円)

57・7 一、〇七九、〇〇〇 二、三四八 一、二二九、七〇九

57・8 一、五九八、三〇〇 三、二八六 二、九二六、五〇八

57・9 二、〇七七、七〇〇 四、六七一 二、六一二、四一六

57・10 二、四三一、四〇〇 五、七六三 三、一〇五、六〇四

この数字からすれば、中江及び中江らの弁護人が説明するように、昭和五七年八月に投資ジャーナルが親金融へ新たに差し入れた株券等は一六億九、六七九万円余となっていることが分かる。しかし、右の数字の昭和五七年八月と九月とを対比すると、九月は八月より、借入残額が四億七、九四〇万円増え、差入株数も一三八万五、〇〇〇株余増えているのに、差入株券等の評価額は逆に三億一、四〇九万円余減っていることになっている(親金融からの借入額が増え、その分の担保としての差入株数が大幅に増えているのに、担保の評価額は逆に大幅に減るという不自然な数字になっている。このようなことは、担保として差し入れられている株式の株価が大幅に下がったとか、差入株を株価の高いものから低いものに大幅に入れ替えたとかという場合に起こることであるが、そのような事実は認められず、不自然であることは間違いない。)。また、昭和五七年七月から同年一〇月までの借入残額の差入株券等の評価額に対する割合を見ると

57・7 八七・七パーセント

57・8 五四・六パーセント

57・9 七九・五パーセント

57・10 七八・三パーセント

となり、昭和五七年八月だけが異常に低い数字になっている(この点について、中江は、前年(昭和五六年)九月の関東電化の暴落の際に投資ジャーナルの実力を疑う向きがあったので、借入残額に対してこれを大幅に上回る株券を差し入れることにより、投資ジャーナルの資金量の豊富さを誇示したものであると説明するが、異常に低い数字は八月だけであり、九月にはまた元に戻っていることからしても、中江が説明するようなものであったとは到底認められない。八月の数字が不自然であることは間違いない。)。そして、このような数字からすれば、昭和五七年八月末の差入株券等の評価額の数字に集計ミスないし転記ミス等の何らかの理由によるかなり大幅な数字の誤りがあるのではないかと推測するのが相当である(中江及び中江らの弁護人の主張にかんがみ、甲一八二号添付資料六―一九及びその基礎資料である大倉行夫、市川一男、三波薫、竹田真弓及び大下博の各員面(これらの員面はいずれも中江らの弁護人の要請によって検察官から提出されたものである。)添付の貸付金状況一覧表等によって、当裁判所が手集計の方法で差入株券等の評価額を集計したところでは、昭和五七年七月末が一三億二、九六五万円余、同年八月末が二一億四、〇一一万円余、同年九月末が二六億五、九〇〇万円余となる。この数字で借入残額の割合を見ると、昭和五七年七月末が八一・一五パーセント、同年八月末が七四・六八パーセント、同年九月末が七八・一四パーセントとなり、昭和五七年八月末の差入株券等の評価額の数字に大幅な誤りがあるのではないかとの前記の推測が裏付けられるものと考えられる。)。

したがって、昭和五七年八月に投資ジャーナルから親金融へ大量の手持株が新規に差し入れられているとして、このような数字から逆算して、昭和五七年三月末の東証信開業当時に中江が多額の手持株を所有していたといい得ないことは明らかであり、その他、中江が挙げる各種の数字についてみても、前記のとおり、中江は、昭和五六年四月ころから瀬川順子、森山愛子らから大量の株券を入手し、「のり」、「運用」などと称して、これを使って株式の取引をしていることは明らかであるが、右以外にも、中江の口利きで他から京都のG証券に、昭和五三年に二億円の、更に昭和五四年には七億円のそれぞれ資金が導入されていることが認められること等からしても、他から種々の名目で投資ジャーナルに資金を導入し、これを使用して株式の取引をしていたことは十分推認されるところであり、仮に中江が説明するように数字の上で投資ジャーナルに手持株があることが明らかであるような結果が出たとしても、これらの手持株のすべてが他からの借入れ等とは全く関係のない投資ジャーナルの所有株と見ることに疑問があることは明らかであり(このようなこともあり、検察官は、不明有価証券等として帳簿上の処理をしている。)、これらの数字を基にした中江及び中江らの弁護人の種々の主張が中江らの主張するように意味を持つものとは到底認められない。

(3) かえって、前掲各証拠によれば、例えば、加藤にあっては昭和五五年七月ころから翌昭和五六年七、八月ころまで、大屋照子にあっては昭和五六年夏ころから数か月間それぞれ給料の支払いが受けられなかったこと(この点について、中江は、ラックの経理処理に問題があったので、給料を支払わなかったとするが、加藤及び右大屋の供述に照らしても、中江の供述が到底措信できないことは明らかである。)、また、品川にあっては昭和五七年一月ころからそれまで二五万円であった月給が二〇万円に、荒川にあっては昭和五六年四月からそれまで三〇万円であった月給が二〇万円にそれぞれ大幅に減らされており、このようなことから、昭和五六年六月ころ、古川和夫をはじめ投資ジャーナルを退社するものが相当数いたこと、また、渋谷の供述によれば、昭和五六年九月以降の投資ジャーナルの毎月の支払いは苦しく、例えば昭和五七年三月の投資ジャーナルの資金繰りは、当初社員らの給料を含めて一、三九〇万円であった支払いの予定が中江によって九九六万円まで削られ、しかも渋谷の自由になる普通預金等の残高はわずか三三五万円であったこと、足立及び葛飾の各供述によってもほぼ同様であり、科学技術開発振興協会の関係のビデオテープの編集製作経費約一〇〇万円を支払うことができなかったこと(中江は、これらの点について、営業上経費はできる限り抑えて出すのは当然であるとし、また、中江らの弁護人も中江の経営哲学から出たものであり、決して投資ジャーナルの経理状況はひっ迫していた訳ではないとするが、そのような状況であったとは到底認められない。)、その他、中江は、J・B・S等の親金融から日歩六銭で一〇〇億円までいくらでも借入れが可能であったとするが、内海臣造及び大野良子の各員面等からすると、当時日歩八銭とか九銭というような高利で投資ジャーナルが多額の融資を受けていることが認められること等からしても、昭和五六年一〇月中旬のころの深夜に森山愛子らの住むマンションに出向いて、窮状を訴えて同女からおよそ二、五〇〇万円相当の電力株等を借り受けたということまでの事実が存したかどうかはともかくとしても(森山愛子の検面等ではその間の経緯がかなり具体的に説明されており、そのように認められる余地もないではないが、当時、前記のとおり、妻K子名義等の預金もあり、また、昭和五六年一〇月の時点でその程度までひっ迫していたと認められる具体的状況もなく、更に、森山愛子の供述自体にもかなり重要な点についてその記憶に混乱があることが認められること等からしても、森山愛子の説明するとおりであると認定することには少し難がある。)、東証信開業当時の投資ジャーナルの経理状況が、中江及び中江らの弁護人が主張するように、多額の手持株等があって余裕のある状態であったとは到底認められず、一方では相当額の預金等は持ちながらも、経費の支払い等が窮屈なかなりひっ迫した状況にあったことは明らかであるというべきである。

(二) 東証信開業後昭和五九年八月までの投資ジャーナルの経理状況

(1) この点についても、中江及び中江らの弁護人は、大要、次のとおり主張する。

(ア) 投資ジャーナルでは、顧客が株の取引で収益をあげたときは、成功報酬としてその一部の還元を受けていた。成功報酬は、右のような性質のものであるから、当然のこととして、顧客に返戻しなければならないものではない。また、投資ジャーナルの収入として計上されるべきものである。しかるに、検察官は、この成功報酬を特別顧問料と称して、顧客への要返戻額から控除せず、また収入としても計上していない。不当である。

(イ) 投資ジャーナルでは、東証信の開業前から昭和五九年八月営業を終局するまで、多額の株券を手持ちしていた。検察官は、これらの株券を不明有価証券等として、一切投資ジャーナルの資産に計上していない。しかし、投資ジャーナルが多額の株券を手持ちしていたことは明らかであるから、当然資産として計上されるべきである。

(ウ) 投資ジャーナルでは、社員らが関連事業をする際資金の貸付けをしていた。検察官は、勝手にこれらの貸付金についてはその回収が不可能であるとして、一切投資ジャーナルの資産に計上していない。しかし、当然資産として計上されるべきものである。

(エ) 投資ジャーナルでは、その営業期間中多額の現金及び預金を所有していた。検察官はこの点を看過しているが、検察官が提出した資料からも明らかである。もちろん、これらの現金及び預金は資産として計上されるべきものである。

(オ) 検察官は、投資ジャーナルの収入として有価証券売却益を、また、支出として有価証券売却損及び親金融への支払利息をそれぞれ計上している。これらの有価証券売却損益が正確に捕そくされれば、これを計上することは不当ではない。しかし、投資ジャーナルの自社株の売買及びその損益については、極めて不完全にしか捕そくされていない。不完全なまま、掌握できた範囲で有価証券売却損益を計上し、かつ、親金融への支払利息の総額を計上することは不当である。したがって、有価証券売却損益及び自社株の売買に伴って支払われたところの親金融への支払利息はその全額を控除して、収支を計算すべきである。

(カ) 検察官は、東証信の開業後昭和五九年八月までの投資ジャーナルの経理状況は、おおむねその全期間を通じて、その資産は顧客への要返戻額を下回り、殊に、その後半は大幅に下回り、また、その収入も支出を下回る赤字経営であったとするが、そのようなことはない。検察官の資産、負債の計上及び収入、支出の計算に右のような問題があるから、計算上そのような数字になるだけである。実際は、投資ジャーナルの経理状況は、全期間を通じて、資産は顧客への要返戻額を上回り、収入も支出を上回っていた。

(2) しかし、中江及び中江らの弁護人の右主張は、以下に述べるとおり、到底採用することができないことは明らかである。

(ア) まず、いわゆる成功報酬について、中江及び中江らの弁護人は、顧客への要返戻額からこれを控除しないとする検察官の処理方法を強く非難する。しかしながら、中江及び中江らの弁護人の主張は到底採用できない。

すなわち、甲一八二号及び準備手続の機会における検察官の説明によれば、検察官は、顧客への要返戻額を次のような方法で算出していることが認められる。

(A) 現金については、顧客から受け入れた額から顧客に支払った(返戻した)額を差し引いた額

例えば、顧客から一、〇〇〇万円受け入れ、顧客が計算上のものではあるが二〇〇万円の利益を出し、そのうち一〇〇万円をいわゆる成功報酬として受け取ることにした場合を想定すると、(a)顧客から全額について精算の請求があり、これに応じたとき、受入れ一、〇〇〇万円、支払い一、一〇〇万円、要返戻額マイナス一〇〇万円、(b)顧客からうち五〇〇万円について精算の請求があり、それに応じたとき、受入れ一、〇〇〇万円、支払い五〇〇万円、要返戻額五〇〇万円、(c)顧客から精算の請求がないとき、受入れ一、〇〇〇万円、要返戻額一、〇〇〇万円となる。

(B) 保証金代用の株券等の有価証券については、受入額から返戻額を差し引いた額(受入れ、返戻ともに受け入れた日の終り値の評価額による。ただし、受入れのない銘柄の株券については、返戻の日の終り値の評価額による。)

検察官が右のような方法で顧客への要返戻額を計算したのは、いわゆる成功報酬は計算上のものにすぎないということのほか、個々の顧客の株の取引(これも架空のものである。)による損益を計算し、個々の顧客について成功報酬の計算をすることが困難ないし不可能であるということにあると思われる。いずれにしても、検察官の要返戻額の計算においては、顧客の株の取引による計算上の利益も損失もともに反映されていないことは明らかである。

検察官の行った顧客への要返戻額の計算方法が右のとおりであることからすれば、中江及び中江らの弁護人の主張は、検察官のこの要返戻額についての計算方法を正しく理解しないところの不当なものであることは明らかである(中江及び中江らの弁護人の主張するところによれば、前記設例の(A)の(a)の場合は、要返戻額はマイナス二〇〇万円に、(A)の(b)の場合は、要返戻額は四〇〇万円に、(A)の(c)の場合は、要返戻額は九〇〇万円にそれぞれなり、顧客が計算上利益を出している訳であるから、本来ならいわゆる成功報酬分を差し引いても顧客から受け入れた額一、〇〇〇万円に一〇〇万円を上積みして返戻しなければならないのに、逆に、受け入れた金額より返戻額が一〇〇万円ずつ少なくてすむという奇妙な結果となる。(B)の場合も同じである。)。したがって、いわゆる成功報酬として、総額五八億六、六〇八万円余もの金額を検察官の計算した顧客への要返戻額から差し引き、これを実質要返戻額として資産と対比し、その営業期間中は投資ジャーナルの資産は顧客への要返戻額を上回っていたなどとしてみても全く意味がないことは明らかである。

(イ) 中江及び中江らの弁護人が主張するその余の前記の諸点についても、(A)投資ジャーナルが多額の株券を手持ちしていたとする点については、昭和五七年八月投資ジャーナルが親金融へ多額の手持株を差し入れたとすることについて疑問があることは前記のとおりであり、その余の時期の手持株とするものについても、中江が「のり」、「運用」などということで他人の株券その他の資金を利用して株の取引を行っていたことがうかがわれることからしても、それらの株券がすべて負債とは全く関係のない投資ジャーナルの純粋の資産とすることには疑問があること、(B)投資ジャーナルが所有していたとする現金及び預金の点についても同様であること、(C)投資ジャーナルが関連企業等に貸付けていた貸付金については、その一部に中江が主張するような黒字経営の企業もあり、貸付金を投資ジャーナルの資産として計上するのが相当であるものがあるとしても、加藤、渋谷らの供述からも明らかなとおり、貸付けを受けていた企業の多くは赤字経営であり、貸付金の回収は難しい状態であったことが認められることからしても、これらの貸付金を、中江及び中江らの弁護人が主張するように、その全額について顧客に対する精算の裏付けとなるような資産として計上することができないことは明らかであること、(D)いわゆる成功報酬を投資ジャーナルの収入と見るべきであるとする点についても、投資ジャーナルの収入及び支出を見るについての検察官の計算方法が前記のとおり顧客の計算上の利益も損失もともに反映していないものであることからすれば、このような検察官の計算方法を前提にして、更に、いわゆる成功報酬を投資ジャーナルの収入であるとして計上することができないことは明らかであること(中江は、投資ジャーナルの営業員らに課しているいわゆるグリーンとレッドのノルマから、顧客の計算上の利益と損失とが全体として釣り合うことになり、したがって、計算上の利益が出た顧客から支払われる成功報酬は当然に投資ジャーナルの収入となるとするが、営業員らに課しているグリーンとレッドのノルマから顧客の計算上の利益と損失とが全体として釣り合うことになるとすること自体、中江が説明するところの投資ジャーナルの営業に矛盾するところがないものか強い疑問があるばかりでなく、分譲が始まった以後の投資ジャーナルの営業は前記のとおり顧客から資金を集めやすい分譲に集中していたことが明らかであることからしても、営業員らが顧客の計算上の利益と損失との釣り合いを念頭において営業に従事していたものとは到底認められず、中江の右主張は到底採用できない。)、(E)投資ジャーナルが行っていた自社株の取引による損益及び親金融への支払利息を収入、支出から控除すべきであるとする点については、投資ジャーナルでは種々の名義による極めて多数の口座を使って自社株の取引を頻繁に行っており、これによる損益を正確に補そくすることが極めて困難であり、検察官によるこの点についての損益の捕そくが不十分なものに終わっているとすることについては、中江及び中江らの弁護人の主張するとおりであるとしても、したがって、自社株の取引による損益についてはとりあえずこれを控除して考えるということであればともかく(検察官は、自社株の取引により、営業の全期間では、一一億五、九〇〇万円余の損失があったとしている。)、その総額が三一億円余に上る親金融への支払利息のすべてを含めて、これらを収入、支出から控除して計算することに合理性があるものとは到底認められないこと等からしても、中江及び中江らの弁護人の主張が到底採用できないことは明らかである。

(3) 以上のとおりであって、東証信開業後の投資ジャーナルの経理状況の把握についても、前記のような種々の制約があり、極めて難しいところがあるが、中江及び中江らの弁護人が主張するような数字を前提にして、投資ジャーナルの資産は常に顧客に対する要返戻額を上回っていたとか、その収入は支出を上回っていたとかといえないものであることは明らかであり、かえって、昭和五九年三月初め、顧客から出金を求める動きが強まると、直ちにいわゆる出金会議を持ち、その後は連日遅くまで、顧客からの入金予定と顧客への出金予定との突き合わせをして顧客への出金の調整を図らなければならないという状況となり、更にその後は、顧客からの出金の要求に応ずることが困難となって、顧客に対して分割による返済を申し出るまでに至っていること(この点について、中江は、顧客に返戻するため一時に所有株を売却すると、株の値崩れを起こし、かえって顧客への返済が難しくなるため、これを避けるという意味で分割返済ということにしたにすぎないものであり、顧客への返済が難しくなったというものではない、とするが、検察事務官作成の昭和六二年三月一一日付け報告書によれば、昭和五九年三月以降、毎月膨大な量の株式の売越しがあることが明らかであることからしても、更に、証人広田忠則に対する尋問調書によれば、中江は、右広田に顧客への分割返済について協力を求めるなどしていることが認められることからしても、中江の説明するようなものでなかったことは明らかである。)、更に、三川忠夫の員面によれば、昭和五九年四月には、荒川ら社員一八名の名義でサラ金から合計五、四〇〇万円の借入れをしていることが認められること等の事実からしても、東証信開業後昭和五九年八月までの投資ジャーナルの経理状況が中江及び中江らの弁護人の主張するような余裕のある状態であったとは到底認められず、表面上はほぼ全期間にわたって多額の現金や株券等が動いていたことは事実であるとしても、その内実は、顧客からの入金と出金との均衡が崩れると直ちに顧客への返済が困難となる、自転車操業に近い状態にあったと認めるのが相当である。

三 被告人らの顧客に対する精算の意思及び能力について

1 中江らの弁護人及び大田の弁護人は、前記のとおり、被告人らは顧客から精算の請求があれば間違いなくこれに応ずる意思であったものであり、現に昭和五九年二月までは顧客からの請求にはきちんと応じてきていた、また、投資ジャーナルには、顧客の精算の請求に応じ得る十分な資力があった、中江以外の被告人らは、投資ジャーナルの資金状況については十分知り得る立場にはなかったが、中江の日頃の言動あるいは昭和五九年二月まで顧客の請求に応じてきちんと精算していた実績等から、投資ジャーナルでは顧客の精算の請求に応じ得る十分な資力があると信じていた旨主張する。

2 しかしながら、本件事案の性質上投資ジャーナルの経理状況を正確に解明することが困難であることは先に述べたとおりであるが、このような制約があることを前提としながらも、投資ジャーナルの経理状況が、東証信開業前においても、また、その開業後においても、中江及び中江らの弁護人の主張するような余裕がある状況であったと認められないことは前記のとおりであり、また、被告人らが顧客からの精算の請求に確実に応じ得ると考えていたとする根拠についても、投資ジャーナルでは、例えばある部署で、自社株をはじめとする資産の全体を網ら的に捕らえ、一方、これに対する顧客への要返戻額をはじめとする負債の額を正確に掌握し、これらを常時対比するなどして、資産と顧客への要返戻額との大小を検討するといった態勢がとられていたものではなく(自社株についての株券入出庫台帳等が存在したことが認められるが、網ら的なものではなく、資産と負債とを対比するためというようなものではない。また、一時期、東証信で顧客からの注文株を記載した建玉表というものが作成されていたようであるが、東クレでは作成されておらず、これも負債の全体を掌握して資産と対比するためというものではない。)、その実態は、一〇倍融資又は分譲(分譲が始まってからは、大部分は分譲であったと認められる。)を仮装して、顧客らから可能な限りの現金、株券等を集める、中江がそれを自由に使って自らの相場観に基づいて株式の取引をする、中江の相場観はすぐれているので損が出ることはない、分譲等によって顧客らに計算上の利益が出ても(その分だけ投資ジャーナルとしては損失が出ることになる。)、中江が顧客らからの資金を株式の取引に使うことによってそれ以上の利益を出す、顧客らからの入金は会社の経費としては使っていないから減ることはない、したがって顧客からの精算の請求には間違いなく応じることができるなどとするにすぎないものであり(昭和五九年三月以降はこのように考えることもできなくなったことは明らかである。)、計算等に基づいた確実なものではなく、中江の相場観を過信した裏付けのないものであったことが明らかであることからすれば、そのような根拠をもって、仮に、中江及び中江らの弁護人が主張するように、投資ジャーナルの資産が顧客への要返戻額を上回る時期があったとしても、被告人らにおいて顧客に対して確実に精算する意思及び能力があったものとは到底いえないことは明らかであり、弁護人らの主張が到底採用できないことは明らかである。

四 被告人らの欺罔が許された欺罔であるとする点について

1 この点について、中江らの弁護人及び大田の弁護人は、前記のとおり、被告人らに被害者らに対する判示のとおりの欺罔があったことは事実であるとしても、本件の被害者らは、いずれも株式の売買によって利益をあげることを目的とするものであり、株式の所有を目的とするものではないから、被害者らから精算の請求があったときに、その請求に応じてきちんと精算をすれば足り、被害者らの注文どおり証券会社に取り次がないとか、分譲する株券を保有しないとかということは重要ではなく、被告人らの被害者らに対する判示のような欺罔は、本件の場合には許された欺罔であるというべきである旨主張する。

2 しかしながら、投資ジャーナルの顧客は、弁護人らが主張するとおり、株式の所有そのものを目的とするものではなく、株式の売買によって利益をあげることを目的とするものであるとしても、顧客にとって、被告人らが説明するとおりに、東証信等が分譲する株式を現実に保有すること、あるいは自らの注文どおりに株式の売買が証券会社に取り次がれてその株券が東証信等で保管されることは、自らが提供する現金、株券等の返済の裏付けを考える上で重要な要素であることは明らかであり、そのような裏付けはなく、単に投資ジャーナルにおいて計算上の精算をするということのみで、他に代わるような保証がある場合ならともかく、そのような保証もなく、被害者らが被告人らからの一〇倍融資又は分譲の勧誘に応じて現金、株券等を提供すると到底考えられないことは前記のとおりであることからしても、被告人らの欺罔が許された欺罔であるなどと到底いえないことは明らかである。

五 一〇倍融資及び分譲についての被告人らの共謀について

1 渋谷の認識等について

(一) 渋谷の弁護人は、前記のとおり、渋谷は、投資ジャーナルにおける総務関係の仕事を担当していたが、営業には全く関係しておらず、投資ジャーナルや東証信等の営業の内容を承知する立場にはなかった、渋谷が一〇倍融資において顧客の注文を取り次いでいないことを知ったのは昭和五九年四月ころであり、また、分譲という営業を投資ジャーナルが行っているのを知ったのもほぼ同じ時期であり、投資ジャーナルで分譲する株式を所有していないことは全く知らなかった、渋谷は、投資ジャーナルの総務部長という名称を用いていたが、これは名前だけであり、実態は庶務課長のようなものであり、投資ジャーナルにおける渋谷の役割は本件とは全く無関係であるというべきである、もちろん、中江らと本件について共謀したことはない旨主張する。

(二) しかしながら、まず、一〇倍融資の点についていえば、前掲各証拠によれば、

(1) 渋谷は、昭和五七年三月、東証信の開業を準備する際、中江の指示を受けて、その中身は当時一〇倍融資の営業をしていたOリサーチオフィスのそれをほぼそのとおり踏襲したものであるとはいえ、東証信で使用する顧客の約諾書の原案を作成しており、同じ時期に加藤がその原案を作成した東証信のパンフレットを見ることもあり、このようなことから、渋谷自身、東証信で新しく一〇倍融資の方法による証券金融を行うことをその開業前から承知していたこと、

(2) その後、同月下旬に、中江、加藤とともに、右Oリサーチオフィスを主宰する広田忠則と面談しているが、その際、広田は、一〇倍融資では顧客からの注文を証券会社に取り次がないことを当然のこととして話し、将来そのことを巡って顧客との間で紛議が生じた際にうまくいい逃れるためには、約諾書にいわゆる相対売買条項を入れておくことが重要であることを話していること、右(1)の東証信の約諾書の原案の作成に当たって、渋谷自身、中江からこの相対売買条項を落とすことがないよう注意されていること、

(3) 渋谷は、東証信開業後の約一か月間、加藤のほか二、三人の従業員で営業を始めた東証信の手伝いをしていること、

(4) 東証信開業直前の投資ジャーナルの経理状況は、渋谷自身の関係するところでも、前記のとおり、渋谷が提出した従業員らに対する給料を含む約一、三九〇万円の支払いの予定が、中江によって大幅に削られて九九六万円余となり、しかも、渋谷の管理する銀行預金等には約三三五万円の残高しか残っていないという状況であり、顧客に一〇倍融資ができるという状況にないことは、渋谷自身十分承知し得る立場にあったこと

等の事実が認められ、これらの事実からすれば、渋谷が、東証信の開業当初から、一〇倍融資について顧客からの注文はそのほとんどを証券会社に取り次がないことを十分承知していたことは明らかに認められるというべきであり、これを昭和五九年四月ころまで取り次いでいないことを知らなかったとする渋谷の供述は、到底措信することができないことは明らかである。

(三) また、分譲の点についてみても、前掲各証拠によれば、

(1) 渋谷は、直接投資ジャーナルの営業を担当していなかったことは事実であるとしても、いわゆる礼会の際に、あるいは中江との事務連絡等の際に、営業員らが執務する部屋に度々出入りし、そのような機会に、同室に設置されているホワイトボードの記載を見たり、礼会等の際に中江らが営業員らにノルマ必達の督励をするのを目撃したり、更には、営業員らが顧客にかける電話を聞くこと等により、投資ジャーナルで分譲(分譲が始まってからは、営業の中身はその大部分が分譲であったと認められることは前記のとおりである。)が大掛かりに行われていることは渋谷自身も十分承知し得たことは明らかであること(この点について、渋谷は、礼会の際は、部屋は営業員らで一杯で中に入れなかったので、廊下に立っていたとか、営業員らと顧客と電話のやりとりは、大勢の営業員らが一斉に電話に取り付き、大声で、中には机の下に入るなどして、非常に騒がしい状態であったので、電話の内容まで聴き取ることはできなかったとするが、廊下にいたからといって、また、いくら騒がしい状態であったからといって、話の内容が全く理解できなかったということは到底措信できない。)、

(2) また、投資ジャーナルには、顧客に分譲した株式と自社株とを分けて管理するような態勢はなく(この点は渋谷自身も十分認識していたことは明らかである。)、一方、株式の分譲ということで多額の現金等が投資ジャーナルに入ってきており、このように大量の株式を時価よりも非常に安い株価で顧客に分譲することに合理的な理由が見出されないことから、昭和五八年一月ころには、渋谷において、中江の妻K子と、営業員らが非常に安い株価で分譲するということで顧客から金員を集めていることについて、これを懸念する趣旨の話し合いをしていることが認められること

等の事実からすれば、渋谷において、分譲開始後の早い時期(遅くとも判示の時点以前)に、投資ジャーナルで顧客に大々的に分譲を行っていること、その分譲は、一〇倍融資同様、実際には顧客に投資ジャーナルの保有株を譲渡する訳ではないのに、安い株価で保有株を譲渡するということで金員を集めるものであることを十分認識していたことは明らかであるというべきであり(この限りにおいて、その旨を明確に供述する渋谷の捜査段階での供述は、十分措信し得る。)、これを昭和五九年四月の時点まで投資ジャーナルで顧客に分譲を行っていることは知らなかったとか、それ以後も投資ジャーナルで保有しない株を分譲しているとは知らなかったなどとする渋谷の供述が到底措信できないものであることは明らかである。

(四) そうだとすれば、渋谷の仕事の内容が投資ジャーナルの総務部長という名前にふさわしいものであったかどうかはともかくとしても、渋谷が投資ジャーナルの一員として、中江らに協力してその仕事に従事していたことは明らかであり、その役割が本件と無関係であったなどとは到底いえないことももとより明らかであって、他に多くを論ずるまでもなく、渋谷について、判示のとおりの中江らとの共謀による犯行が成立することは明らかである。

2 目黒の責任の及ぶ範囲等について

(一) 目黒の弁護人は、目黒は投資ジャーナルの社内で専務と呼ばれることもあったが、投資ジャーナルではその名称は本人の地位、役割を示すものではなく、投資顧問の会の会員らに対する関係もあり、それぞれ各人が勝手に専務とか部長とかという名称を用いて仕事をしていたにすぎないものである、もともと、投資ジャーナルの営業は、柱(班長)制によって行われており、各柱(班長)の間には全く差がない完全な平等制がとられていた、そして、この平等を侵す者に対しては罰則(ペナルティ)が課せられていた、目黒は投資ジャーナルの営業の柱(班長)の一人にすぎないものであり、他の柱(班長)と全く変わりはない、他の柱(班長)であった者には、起訴されていないものもあり、起訴されたものもせいぜい自分が直接関係した事実かその班に属する営業員の関係した事実についてのみである、しかるに、目黒については、検察官は、目黒は投資ジャーナルの営業全体の責任者であるとして、目黒自身及び目黒班の営業員が関係した事実以外に、他の班が関係した事実についてまで起訴している、右は検察官が投資ジャーナルにおける柱(班長)制度を誤解した結果に基づくものであり、不当である、目黒は、中江らと共謀した事実はない、したがって、目黒について、目黒自身及び目黒班の営業員の関係した各事実について責任を問われることはやむを得ないとしても、それ以外の事実について目黒に責任を問われるいわれはない旨主張する。

(二) しかしながら、前掲各証拠によれば、目黒は、京都のツーバイツーのころから中江の下で働き、中江、加藤らとの関係が長かったことのほか、目黒が営業に精通しておりその成績がよかったことや本人の人柄なども関係して、中江らの信頼もあり、

(1) 中江は、他の営業員らに対して、自分がいないときは目黒の指示に従うよう指示するなどのことがあったこと、

(2) また、中江に指示されて、営業員が東証信等の証券金融へ送付することとされていた顧客紹介票に記載されている株価、約定日等をチェックする立場にあったこと(目黒は、中江の指示で顧客紹介票のチェックをしていたが、昭和五八年一月ころから、チェックする意味がなくなり、また、忙しくなったので、自分は直接チェックしていない旨供述するが、中江に指示されて自分の班以外の班の営業員が提出した顧客紹介票のチェックをしたことは、目黒自身も認めるところであり、また、東クレの責任者である大田に対して自分のチェック印のない顧客紹介票は受け付けないで戻してほしい旨話していることが認められるところであって、その後、目黒自身が直接チェックすることはやめ、目黒から印鑑を預けられた営業事務の職員がチェック印を押していたということになったとしても、そのことは特に重要ではない。)、

(3) 同じように、中江に指示されて、各班のいわゆるノルマの貸し借りの調整をすることがあったこと、

(4) 特に中江が出社しない折などの営業のいわゆる礼会などでは、これを主宰する立場で、各班の営業員らに数字を挙げてノルマの達成を督励し、指示するなどしていること、

(5) 昭和五九年三月初めから連日開かれたいわゆる出金会議では、営業全体を代表する立場でこの会議に参加し、その調整に当たることがあったこと

等の事実が認められるのであって、これらの事実のほか、投資ジャーナルの社内でも、若い社員らから目黒専務と呼ばれるなど、営業全体の取りまとめないし中心的な立場にあると目されていたことは明らかであること等からすれば、他の柱(班長)と質的な違いがあったといい得るかどうかはともかくとしても、目黒は、他の班長とは異なり、投資ジャーナルの営業全体の取りまとめないし中心的な立場にあった者として、自らの班についてはもとより、それ以外の班を含めて、投資ジャーナルの営業全体に関与していたというべきことは明らかであり、目黒が投資ジャーナルの一員として、中江らに協力して右営業に従事していたことも明らかであるから、目黒について、判示のとおりの中江らとの共謀による犯行が成立することは明らかである。

3 大田の認識等について

(一) 大田の弁護人は、前記のとおり、大田が一〇倍融資において投資ジャーナルが顧客からの注文を証券会社に取り次いでいないことを知ったのは昭和五八年四月ころであり、また、分譲において投資ジャーナルに顧客に譲渡する株式を保有していないことを知ったのは昭和五九年五月の時点である、大田は、中江らと一〇倍融資又は分譲ということで被害者らから現金、株券等を騙取することを共謀したことはない旨主張する。

(二) しかしながら、前掲各証拠によれば、

(1) 大田は昭和五七年一〇月初めから東クレの責任者として仕事をするようになったが、当時既に東証信ではいわゆる一〇倍融資について顧客の注文を証券会社へ取り次いでおらず、東クレでも同様の営業をすることになっていたので、東クレの開業前に、加藤が中江に対し大田に話しておく必要がないのかという趣旨の確認をしたところ、中江において、大丈夫である旨の回答をしていることが認められることからしても、東クレ開業前に、既に、大田において一〇倍融資について東クレでも顧客の注文は証券会社に取り次がないことを承知していたことがうかがわれるばかりでなく、昭和五八年一月ころからは、荒川が大田の面前で東クレの顧客からの注文についてクイックビデオを使って値決めをしているのを見ている訳であるから、少なくともその時点では、大田が投資ジャーナルにおいて顧客からの注文は証券会社に取り次いでいないことを明確に認識したことは明らかであること、

(2) また、分譲についても、大田は、東クレの責任者として、毎日、投資ジャーナルの営業から送付されてくるおびただしい数の顧客紹介票を見る立場にあったが、これを見ることにより、投資ジャーナルでは分譲と称してその時点での株価より一割程度も安い株価で株式を顧客に譲渡していること、しかも、譲渡される株式の銘柄は多岐にわたり、一人の顧客に大量に、中には繰り返し行われていることを十分承知していること、このように一人の顧客に大量の株式を時価よりも一割も安い株価で譲渡するについて合理的な理由はないこと、前記のとおり一〇倍融資については顧客の注文はすべてのんでいること(大田においても、このことは十分認識している。)

等の事実が認められ、これらの事実からすれば、大田において、一〇倍融資については被害者らの注文を取り次いでいないことを、また、分譲についてはその株券を投資ジャーナルが保有するかどうかに関係なく行われていることを、そたぞれ十分認識しながら、判示各犯行に及んだことは明らかであるというべきであり、大田が投資ジャーナルの一員として、中江らに協力してこれらの犯行に及んだことも明らかであるから、大田について、判示のとおりの中江らとの共謀による犯行が成立することは明らかである。

4 板橋の認識等について

(一) 板橋の弁護人は、前記のとおり、板橋は、一〇倍融資については流通開業の直前に顧客からの注文を証券会社へ取り次がないことを知ったが、板橋の仕事は、単純な事務処理の手続のみであって、詐欺の共同正犯として責任を問われるものにはほど遠いこと、また、分譲については昭和五九年四月ころまで投資ジャーナルの保有する株式を譲渡しているものと考えていたものであり、そのころから投資ジャーナルが分譲する株式を保有するものかどうかに不安を抱くようになったが、この点についても、投資ジャーナルにおける板橋の地位、役割からしても、板橋が詐欺の共同正犯として責任を問われるべきものではないこと、また、板橋にこのような営業を制止させ、あるいはこのような営業から離脱することを期待することは困難である旨主張する。

(二) しかしながら、前掲各証拠によれば、

(1) 一〇倍融資について、板橋が流通の営業に関係した当初から顧客の注文を証券会社に取り次がないことを承知していたことは、板橋自身も認めるところであり、証拠上も明らかであること、

(2) また、分譲については、大田の認識等について判断した前記の事実がほぼそのとおり認められるばかりでなく、昭和五九年三月初めから連日いわゆる出金会議が開かれ、これに流通を代表して板橋が出席していたこともあり(板橋は、出金会議に出席するようになったのは、同年四月半ば以降であるとするが、加藤の供述等からしても措信できない。)、投資ジャーナルの営業員らが分譲する株は保有しないのに分譲と称して顧客から金員を集めることに腐心していることを十分承知する機会があったこと

等の事実が認められ、これらの事実からすれば、板橋に一〇倍融資について顧客の注文を証券会社に取り次いでいないことについての認識はもとより、分譲についても投資ジャーナルにおいてそれに見合う保有株はないことの認識があったことは明らかに認められるというべきであり、板橋が投資ジャーナルの一員として、中江らに協力してその営業に当たったものであり、板橋の地位、役割が弁護人主張のようなものでないことは明らかであること、また、板橋がその営業から離脱することを期待できないような状況がないことも明らかであることからすれば、板橋について、判示のとおりの中江らとの共謀による犯行が成立することは明らかである。

六 被告人らの各検面調書の任意性及び信用性について

1 中江らの弁護人並びに目黒及び大田の各弁護人は、前記のとおり、被告人らの各検面調書について、検察官の取調べには、本人あるいは関係者らに対する不起訴ないし保釈についての利益誘導、長時間にわたる取調べの強制その他の強制ないし脅迫、誤った経理解明報告書その他関係者らの供述調書等を基にした誘導ないし誤導があり、中江、加藤及び渋谷の各検面調書については任意性が認められず、また、これらを含む被告人らの各検面調書には信用性が認められない旨主張する。

2 しかしながら、各争点についてこれまで当裁判所が示してきた判断からも明らかなとおり、本件の犯罪の成否等を検討する上で、被告人らの捜査段階での供述(各検面調書)の存在がさほど重要であるとは認められず、これらの被告人らの捜査段階での供述をまつまでもなく、主として被告人らの法廷における供述等によっても、被告人らの本件各犯行は十分証明されるものと考えられるが、

(一) まず、中江、加藤及び渋谷の各検面調書の任意性の点についていえば、前掲各証拠及び証人小田次郎の供述によれば、被告人らの取調べがかなり長時間にわたり、深夜に及ぶこともあったこと、中江の取調べにおいて、関係者らの保釈ないし起訴、不起訴の話題があったこと等の事実が認められるが、取調べが長時間にわたり、深夜に及んだことが被告人らの各検面調書の任意性に影響するほどのものであったとは到底認められないばかりでなく、また、関係者らの保釈ないし不起訴の話題が利益誘導の形で行われたとは到底認められず、その他弁護人が主張するところの諸点が被告人らの各検面調書の任意性に影響するものであったと認められないことも明らかであって、各検面調書に任意性が認められることは明らかであること、

(二) また、各検面調書の信用性の点についていえば、前記のとおり、投資ジャーナルの経理状況の解明の困難さから、経理状況解明報告書等に記載された数字自体に計算違いとか誤記があることが明らかであり、取調べの際に、これらの数字がそのまま被告人らの記憶を喚起する材料として使われていることも十分推測され、その限りにおいて、被告人ら及び関係者らの各供述調書の信用性を検討するに当たっては慎重を期する必要があり、その信用性が減殺されるところがあることも明らかであるが(ただ、中江が主張するように、検察官が勝手に被告人の供述調書を作成したなどとは到底認められない。例えば、被告人らの数字についての記憶があいまいであったり、違った数字を供述した際などに、関係資料の調査結果ではこのような数字になっているかどうかと質問し、調査結果がそのように出ているのなら、そのとおりです、といった程度のやりとりがあったことは十分推測され、また、その程度であったと認めるのが相当である。)、各検面調書を全体として見る場合には、いずれもその大筋においてはおおむね信用し得るものであることは明らかであること

等からすれば、各検面調書に任意性ないし信用性が認められないとする弁護人らの右主張が採用できないことは明らかである。

第五結論

以上、これを要するに、前掲各証拠によれば、判示各事実はすべてその証明が十分であるというべきであり、これに反する弁護人らの各主張はいずれも採用することができない。

(法令の適用)

中江、加藤及び渋谷の判示各所為、目黒の判示第五の一の1の別紙犯罪一覧表(以下「別表」という。)番号1及び2を除く判示各所為、品川の判示第一の二の1の別表番号1、判示第一の三の別表番号1及び2、判示第一の四の別表番号1から3まで、判示第二の五の別表番号1及び2、判示第三の二の1の別表番号1から5まで、判示第四の四の1の別表番号1及び2、判示第四の四の2の別表番号1、判示第五の一の1の別表番号1から3まで、判示第五の三の別表番号1から3まで、判示第五の四の別表番号1並びに判示第五の五の別表番号1及び2の各所為、大田の判示第一の一の1の別表番号1から15まで、判示第一の二の2の別表番号1及び2、判示第一の五の別表番号1から7まで、判示第二の一の別表番号1から3まで、判示第二の二の別表番号1から3まで、判示第二の三の別表番号1から4まで、判示第二の四の1の別表番号1、判示第二の四の2の別表番号1及び2、判示第二の四の3の別表番号1及び2、判示第三の一の1の別表番号1から6まで、判示第三の一の2の別表番号1から3まで、判示第四の一の別表番号1、判示第四の二の別表番号1及び2、判示第四の三の別表番号1から3まで、判示第四の六の2の別表番号1並びに判示第五の二の1の別表番号1の各所為、板橋の判示第一の一の2の別表番号1から3まで、判示第一の六の別表番号1及び2、判示第二の六の別表番号1、判示第三の二の2の別表番号1、判示第三の三の別表番号1、判示第四の五の別表番号1及び2、判示第四の六の1の別表番号1から7まで、判示第四の七の別表番号1から3まで、判示第四の八の別表番号1から3まで、判示第五の一の2の別表番号1から4まで並びに判示第五の二の2の別表番号1及び2の各所為、荒川の判示第一の二の2の別表番号1及び2、判示第二の四の1の別表番号1、判示第二の四の2の別表番号1及び2、判示第二の四の3の別表番号1及び2、判示第三の一の1の別表番号1から6まで並びに判示第三の一の2の別表番号1から3までの各所為、足立の判示第一の四の別表番号1及び3、判示第二の二の別表番号1から3まで、判示第五の三の別表番号1から3まで並びに判示第五の四の別表番号1の各所為、葛飾の判示第一の一の1の別表番号1から13まで、判示第一の三の別表番号1、判示第二の三の別表番号1から4まで及び判示第三の三の別表番号1の各所為は、いずれも刑法六〇条、二四六条一項に該当するが、中江、加藤、渋谷、目黒、大田及び荒川の判示第三の一の1の別表番号4と判示第三の一の2の別表番号1及び判示第三の一の1の別表番号6と判示第三の一の2の別表番号2はそれぞれ一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪としてそれぞれ犯情の重い判示第三の一の1の別表番号4及び判示第三の一の1の別表番号6の各罪の刑で処断することとし、各被告人につき、以上はそれぞれ同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条によりそれぞれ犯情が最も重い、中江、加藤、渋谷、目黒、大田及び荒川については判示第三の一の1の別表番号6の、品川については判示第五の五の別表番号2の、板橋については判示第一の一の2の別表番号2の、足立については判示第五の三の別表番号1の、葛飾については判示第一の一の1の別表番号12の各罪にそれぞれ法定の加重をした刑期の範囲内で中江を懲役八年に、加藤を懲役四年に、渋谷を懲役三年に、目黒を懲役三年に、品川を懲役二年六月に、大田を懲役二年一〇月に、板橋を懲役二年に、荒川を懲役三年に、足立を懲役三年に、葛飾を懲役三年に各処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中、中江に対しては四五〇日を、加藤に対しては三九〇日を、渋谷に対しては一六〇日を、目黒に対しては三〇〇日を、品川に対しては六〇日を、大田に対しては一四〇日を、板橋に対しては一〇〇日を、荒川に対しては六〇日を、足立に対しては八〇日をそれぞれその刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から、目黒に対し五年間、渋谷、品川、大田、荒川、足立及び葛飾に対し各四年間、板橋に対し三年間、それぞれその刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文(連帯負担については、更に同法一八二条)により、証人江堀芳行、同林兼吉及び同青木茂に各支給した分は中江、加藤、渋谷、目黒及び大田に、証人河本定利に支給した分は中江、加藤、渋谷及び目黒に、証人大木克己、同中田良一、同田村一也、同大石竹男、同大田善夫及び同小田次郎に各支給した分は中江、加藤及び渋谷に、証人関利夫、同上田久、同齋藤正治、同足立克郎及び同河野常雄に各支給した分並びに証人葛飾勝利に第二一回及び第二三回各公判期日の関係で支給した分は中江、加藤、渋谷、大田及び板橋に、証人飯岡良昭、同小谷昇一、同清川広行、同金崎真吾及び同川西一雄に各支給した分は中江、加藤、渋谷及び大田に、証人金田昌二に支給した分は中江、加藤、渋谷及び板橋にそれぞれ連帯して負担させ、証人菅原勇及び同谷村芳次に各支給した分並びに証人葛飾勝利に第一九回公判期日の関係で支給した分は目黒に負担させることとする。

(量刑の理由)

一 被告人らの本件犯行は、判示のとおり、中江を頂点とする投資ジャーナルに属する被告人らが、他の投資ジャーナルの従業員らと共謀の上、昭和五八年三月から昭和五九年八月まで、真実は顧客である被害者らからの注文を証券会社に取り次ぐ意思がないのに、注文どおり取り次ぐように装い、また、被害者らに株式を譲渡する意思がないのに、投資ジャーナルの保有する株式を譲渡するように装い、判示のとおりの種々の虚言を用いて被害者らを欺罔し、その旨誤信した被害者らから、株式買付資金又は株式買付資金の融資保証金等の名目で、被害総額が一八億二、九七八万四、三八〇円に上る現金、株券等(現金合計一二億五、七〇八万四、三三二円、小切手金額合計一億二、二七二万五、〇〇〇円、株券等合計四億四、九九七万五、〇四八円)の交付を受けてこれを騙取したというものであって、その被害額の大きさから見ても、被告人らの本件犯行が極めて重大であることは多言を要しないところである。

二 しかも、被告人らは、本件犯行に及ぶについて、新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、電車内の吊り広告等のあらゆる種類のメディアを用いて、投資ジャーナルの推奨する銘柄の株は大きく値上がりして利益を出しているとか、東証信等を利用すれば少ない資金で大きい利益が出るとかと大々的に宣伝して、株式投資家の関心を引き、あるいは東証信等は、近代的なビルの中で営業しており、すべての顧客の口座を高性能のコンピュータを使って完全に管理しているとする写真等を掲載したパンフレットを配布するなどして顧客を信用させ、更に、投資顧問を名乗る投資ジャーナルと証券金融を名乗る東証信等とは関係がない会社であるように装い、投資ジャーナルの営業員らにおいて、投資顧問の会員である顧客から手持ちの資金量を聞き出し、その手持ちの資金(株券等)を担保にして、東証信等から一〇倍融資の方法で融資を受けて株式を買えば少ない資金で大きい利益が出るとか、東証信等に預けている株を時価より一割程度も安く譲ってあげる、いますぐに売ってももうかるとかと、株式投資家の心理を巧みに突いた種々の甘言を用いて顧客を誘い、顧客がこれに応じてくると、東証信等へ紹介するという形をとり、一方、あらかじめ投資ジャーナルの営業員らから電話等による連絡を受けている東証信等の従業員らにおいて、これに口裏を合わせて、顧客からの注文は証券会社に取り次ぐように装い、あるいは投資ジャーナルから株券を預っており、これを顧客に譲る手続をとるように装って、電話で応対し、あるいは来店する顧客にそのように話し、その結果顧客がこれを信用して現金、株券等を提供すると、あたかも実際に顧客の注文どおりの株式の売買があり、これがコンピュータによって処理されているかのような外観の、銘柄、約定日、数量、単価、経費、利息、融資金等を記載した売買報告書を顧客あてに送付するなど、まことに手の込んだ、極めて巧妙な方法で顧客である被害者らを欺罔し、その旨誤信した被害者らから、前記のとおりの多額の現金、株券等を提供させてこれを騙取しているのであって、極めて大規模かつ組織的な犯行であり、その犯行の態様はまことに悪質であるというべきである。

弁護人らの意見には、本件の被害者らは、いずれも株式の専門家であり、株式の売買によって多額の利益を得ることをもくろんだものであって、被害者らの側にも落度があるとするかのような主張が含まれるが、被害者らにもいま少しの慎重な対応が望まれない訳ではないものの、右のとおりの本件の欺罔の方法ないし態様からすれば、被害者らの落度をうんぬんすることは当たらないというべきであり、その責任はもっぱら被告人らにあることは明らかであって、被告人らの本件刑責を軽減するものでないことも明らかである。

三 そして、

1  被告人らがこのような本件犯行に及んだ動機は、前記のとおり、中江にあっては、自らの株式の取引のための資金集めということにあったことは明らかであり、自らを株のプロであるとか、株の天才であるとかと称し、自分の株の取引では大きく利益を出すことは間違いない、したがって、仮に一割程度時価より安い株価で株を分譲しても、自分がその資金を運用することによってそれ以上の利益を出す、顧客の精算要求には間違いなく応じられる、顧客の精算要求にきちんと応じていれば、顧客の注文をのんでいても問題はない、などとする、自らの能力を過信した、全く根拠のない、まことに身勝手な理屈を振り回して、従業員らに、一方ではか酷なまでのノルマ必達を督励し、他方では極めて高額の報償金を出すなどして、顧客からの資金集めに狂奔していたものであり、また、中江以外の被告人らにあっては、中江の言動に盲従し、あるいは不安を感じながらも高い給料や報償金にひかれるなどのことから、その営業を続け、顧客から多額の現金、株券等を集めることに腐心していたものであること、

2  しかも、被告人らが顧客から集めたこれらの現金、株券等は、もちろん顧客からの精算の請求に応じて顧客に返済されたものがあるが、中江個人の、あるいは投資ジャーナルの固有の資金と同様に、中江が自らの相場観によって決定する株式の売買のための資金として、あるいは中江自身又は従業員の行う関連事業の資金として、更には従業員に対する給料、報償金等として、中江の一存で自由勝手に使われていること(関連事業の資金として極めて多額のものが使われていることは、既に触れたとおりであり、更に、中江の供述するところでは、昭和五九年三月以降の、顧客への返金が困難になった以後に支出したとする分も多額ある。従業員に対する給料については、例えばノルマを達成した班長には毎月五万円ずつ昇給させるとし、実際にはほとんどの班長を例外なく昇給させ、例えば荒川は、それまで三〇万円であった月給が、昭和五八年四月に一挙に八五万円に上がり、その後毎月五万円ずつ昇給し、昭和五九年二月に一八五万円に、更に同年三月には二三五万円となっており、また、足立は、それまで三〇万円であったものが、昭和五八年四月に一挙に八〇万円に、更に同年五月には九〇万円に上がり、その後毎月五万円ずつ昇給し、昭和五九年五月には一五〇万円となっている。また、賞金レースなどと称して、営業員らに顧客からの入金額を競わせ、一位になった者に一、〇〇〇万円の報償金を出すというようなことを何か月も続けている。中江及び中江らの弁護人は、これらの点について、関連事業への出資は危険の分散であるとか、投資ジャーナルでは顧問料収入などのレッドのノルマと顧客からの入金のグリーンのノルマとを峻別し、給料、報償金等はレッドのみから支出し、顧客からの入金のグリーンから支出していないから問題はないとするが、関連事業への出資が危険の分散などといい得るものでなかったことは先に触れたとおりであり、また、レッドの中には弁護人らのいういわゆる成功報酬五八億六、六〇八万円余(中江は顧問料収入のうちの四割位がいわゆる成功報酬であったとし、荒川、足立の供述には、いわゆる成功報酬は顧問料収入の七、八割ないし八、九割に達していた時期があるとするものもある。)が含まれており、これを投資ジャーナルの収入と見ることに問題があることも先に触れたとおりであって、給料、報償金等はいわゆるレッドから支出しており、顧客からの入金から支出していないから問題はないなどといい得るものでないことも明らかである。)等、その実態は、単に中江においてその資金を利用することによって多額の利益をあげ、顧客に損害を被らせることはないであろうとのまことに不確かなことを根拠にして、顧客である被害者らから極めて多額の現金、株券等を集め、これをほとんど中江の考えだけで勝手に使い、その結果被害者らに対してその回復が不可能なまことに甚大な損害を被らせたものであって、強く責められるところがあることはいうまでもない。

なお、被告人らの供述には、警察の投資ジャーナルに対する捜索等がなければ被害者らに本件のような被害を与えておらず、投資ジャーナルつぶしを図った大手証券会社の謀略とこれに利用された警察権力とがこのような結果を引き起こしたものであるとする言辞があるが、被害者らからの注文を取り次がず、譲渡する株がないのに分譲するとして、被害者らを欺罔した営業を続けていたことが問題であり、そのような営業を続ければ早晩本件のような事態が起きることは当然予想されるところであり、被告人らとしても当然予想していたか、あるいは予想すべきことであったものであり、また、これが現実化すると直ちに顧客に対する精算ができなくなるということはその営業そのものに問題があったことは明らかであって、それを投資ジャーナルつぶしの陰謀であるとか、警察権力の不当な介入であるとかとし、それがために顧客への返済ができなくなったとすることは、責任転嫁も甚だしく、そのこと自体にも責められるところがあるというべきである。

四 被害者らから受け入れた判示現金、株券等については、その営業の過程で、一部被害者らからの精算の請求に応じて返済したものがあり、また、本件の起訴後最近までに、品川及び足立において、一部の被害者らにごく一部ではあるが被害弁償をし、被害者らから示談書等が提出されているものもあるが、その余の大部分については、事件後相当の時日が経過しながらも、現在までに被害の回復はされておらず、今後もその回復は困難であるとおもわれることからしても、被害者らに残されている被害感情には、被害者らの供述をまつまでもなく、まことに強いものがあることは明らかであり、このような点からも被告人らの本件刑事責任はまことに重いというべきである。

五 以上のとおり、被告人らの本件刑事責任にははなはだ重いものがあるが、各被告人について、これを個別的に見ると、以下のような事情が認められる。

1  まず、中江についていえば、これまでに繰り返し述べてきたとおり、文字どおり投資ジャーナルの頂点にあり、投資ジャーナルの主宰者として、ほとんど独裁的に、営業等に関する重要な事項を決定し、多くの社員らを指揮して営業等に当たらせていたものであり、本件犯行についても、そのすべてを自ら企画し、他の被告人らを含む多くの従業員らを犯行に関与させ、営業員らにか酷なまでの必達すべきノルマを課し、問題が発生すればすべて責任は自分がとるなどと称して、営業員らに顧客からの資金集めに狂奔させ、更に、顧客から入れられた現金、株券等はすべて自らの判断でこれを使用しているのであって、本件犯行の中心的かつ中核的な首謀者であったことは間違いなく、本件犯行の責任の大半は中江にあるといっても過言でないというべきであり、その刑事責任はまことに重いというべきである。

その他、警察からの捜索が予想されると、渋谷らに命じて証拠の隠滅を図り、更に、自らの被害者らに対する責任とともにそれまで督励して本件犯行に従事させてきていた部下の従業員らに対する責任をもほうてきして、加藤とともに海外へ逃亡するなど、全く無責任な行動に出ていること(中江は、他から海外へ出るようにとの指示があり、また、その後帰国しようとした際、いましばらく海外で待つようにと指示されたためであり、海外へ出たこと及び長期間海外で滞在したことは自分の本意ではない旨供述するが、仮に中江の供述するとおりであるとしても、その結果が被害者ら及び部下の従業員らとの関係で無責任であると評されることには変わりはない。)等の事実からしても、中江の責任は極めて重く、その犯情はまことに重いというべきである。

2  次に、加藤について見ると、加藤は、投資ジャーナルにおける中江に次ぐ立場にあったものであり、投資ジャーナルの代表取締役社長として、対外的にもそのとおり行動し、また、投資ジャーナルの社内においても投資ジャーナルの業務の全般について会長である中江を直接補佐し、中江が出社しない折などには、中江に代わって従業員全体を指揮してその業務に当たらせるなどしていたものであり、本件犯行についても、中江から、渋谷とともに、最初に東証信を始めることを話されて、東証信のパンフレット作りに当たり、一〇倍融資において顧客からの注文はこれを取り次がずにのんでいることを知りながら、中江の指示どおり東証信の責任者として部下の従業員らを指揮してその営業に当たらせ、また、前記のとおり、中江の不在時等には中江に代わって営業員らにノルマ必達を督励し、その後昭和五九年三月初めから、顧客からの精算の請求が激増して顧客への返済が難しくなると、連日いわゆる出金会議を開き、自らこの会議を主宰して出金の調整に当たるなど、中江に次ぐ立場にあったことは明らかであり、その他、前記のとおり、警察からの捜索が予想されると、中江の指示があったとはいえ、中江とともに海外に逃亡していること等の事実からしても、加藤は、中江に次ぐ立場にあって、中江に次いでその刑事責任及び犯情が重いことは明らかである。

3  渋谷は、前記のとおり、投資ジャーナルの総務関係の仕事をしていたものであり、直接顧客と接する営業を行っていたものでないことは明らかであるが、加藤とともに、中江から、最初に東証信の開業を話されて、東証信の約諾書作りを担当し、その後、一〇倍融資において顧客からの注文を取り次がないことを知りながら、東証信開業後の約一か月間は加藤の下でその手伝いをし、その後も、投資ジャーナル全体の総務関係の責任者として、更にそれに加えて、バンキングの責任者として、事務所、電話等の設置等はもとより、営業に必要な書類の作成、顧客から入る現金、株券等の管理、月々の支払計画の作成等、中江を補佐する重要な仕事に当たっており、顧客に直接接する営業を担当するものでなかったことは前記のとおりであるが、その刑事責任ないし犯情を考慮するに当たっては営業担当者に比して決して軽いといい得るものではないことは明らかであり、渋谷の刑事責任及び犯情もまた重いことは明らかである。

4  目黒は、前記のとおり、投資ジャーナルにおける営業部門の中心的な役割を担っていたものであり、自ら、あるいは自らの班員を督励して、積極的に営業を推進するとともに、他の班員らに対しても営業成績を上げるよう督励するなどしていたことが明らかであるが、本件犯行についても、前記のとおり、特に中江の不在時等には、他の班員らを含めて、ノルマ必達を督励し、顧客と直接接触する投資ジャーナルの営業部門の中で、文字どおり、その先頭に立ち、中心となって、顧客である被害者らを欺罔し、被害者らに多額の現金、株券等を交付させていたものであることは明らかであり、その結果、目黒自身の営業成績は、他の班長らと比べても、抜き出ていたことが認められ、そのようなこともあって、目黒が受け取っていた給料、報償金等の額も極めて多額であったことが認められるのであり、それにもかかわらず、これまでのところ被害者にはその一部についても還元されるというようなことは全くされていないこと等、自らの行っている行為及びその結果の重大性を考えることもなく率先して重大な犯行に及び、しかも受領する金員についてもその意味もあまり考えようとはせずにこれを費消してしまっているのであり、その無自覚、無責任な目黒の本件犯行は強く非難されるところであって、その刑事責任及び犯情がまことに重いことは明らかである。

5  品川、大田及び板橋にあっては、その関係した期間に長短があるが、品川は東証信の実質的な営業責任者として、大田は東クレの、また、板橋は流通のそれぞれ営業責任者として、本件犯行については、前記のとおり、それぞれ投資ジャーナルの営業員らと口裏を合わせて、被告人ら自らも直接被害者らを欺罔するなどした上、被害者らに多額の現金、株券等を交付させてこれを騙取したものであり、いずれもその責任は重いというべく、更に、品川にあっては、東証信に関係する前に投資ジャーナルの営業員として顧客らを欺罔して入金させる等の営業に関係しており、また、東証信でも昭和五八年一月ころからは投資ジャーナルの営業と同じ方法の分譲を行い、顧客らから直接現金、株券等を騙取するという営業を取り入れていることなど、品川の刑事責任ないし犯情を考える上で軽視することができない事情があること、また、大田にあっては、長年大蔵省に勤務した経験を有しながら(投資ジャーナルの営業員らには、東クレの責任者は元大蔵省の役人であるなどとして、顧客を信用させるため大田の経歴を利用しているものもある。)、本件犯行に積極的に関与し、前記のとおり東クレの営業責任者として、一七名の被害者らから合計一二億四、六九一万円余という、特に多額の現金、株券等の騙取に関係しており、その後、昭和五九年六月には、顧客への返済が不可能となり、投資ジャーナルの営業が完全に行き詰まったと判断して、自ら中江に申し出て東クレを退職しているが、その際には顧客に返済すべき貴重な金員の中から四七〇万円という多額の現金を中江から受け取って退職していること等、その刑事責任ないし犯情には、同じ証券金融に関係した品川及び板橋に比べても特に重いものがあることは明らかであること、そして、板橋にあっては、前記のとおり、流通は昭和五九年二月中旬に開業しており、本件犯行に関係した期間は他の被告人らに比べて短期間ではあるが、板橋が関係するようになってまもなくの同年三月初めから、東証信及び東クレの関係の顧客からの出金の要求が激増するようになって、これに応じることが困難となり、そのころから連日いわゆる出金会議を開いて顧客への出金を調整しなければならないという状態になったが、そのように、流通に関係するようになった直後から投資ジャーナルでは顧客への返済が困難な事情にあることを十分認識しながら(板橋は、出金会議に出席するようになったのは、同年四月中旬ころからであるとか、投資ジャーナルが顧客への返済が困難であったことは知らなかったとするが、前記のとおり、加藤らの供述からしても、板橋が同年三月初めから出金会議に出席していたことは明らかであり、出金会議が連日夜遅くまで開かれていたことからも、開業直後の流通のみについてはともかくとしても、投資ジャーナル全体が顧客への返済が困難な事情にあることを板橋自身も十分認識していたことは明らかであり、板橋の供述は到底措信できない。)、あえて顧客である被害者らを欺罔し、被害者らに多額の現金、株券等を交付させていたものであり、更に、旧知の間柄にあり、自ら誘って流通で働かせていた梶谷康雄から、このような営業を続けていると刑事事件となり、責任を追及される旨の詰問状のようなものを突き付けられながら、あえてこれを無視して、本件犯行を続けていたものであり、単にその関係した期間が短かったからということで、板橋の刑事責任ないし犯情を考慮することができないことは明らかであり、品川、大田及び板橋三名ともにその刑事責任及び犯情は重いというべきである。

6  荒川、足立及び葛飾は、いずれも投資ジャーナルの営業の柱(班長)の地位にあったものであり、本件犯行については、自ら直接あるいは班員らを督励して、被害者らを欺罔し、被害者らに多額の現金、株券等を交付させてこれを騙取したものであり、先に目黒について述べたことがほぼそのまま被告人らにも当てはまるというべきであって、三名ともにその刑事責任ないし犯情が極めて重いことは明らかであるが、特に、荒川にあっては、直接関係した被害者六名から合計八億六、四六二万円余もの極めて多額の現金、株券等を騙取していること、また、東クレ開業後の相当期間は東クレの責任者としてもその営業に当たっていること等の事実があり、これらの事情を併せて考慮するときには、荒川の責任が特に重いことは明らかであり、足立及び葛飾にあっても、直接被害者らに種々甘言を用いて被害者らを欺罔するなど、積極的に本件犯行に関係していたことが明らかであること、その他柱(班長)として投資ジャーナルの営業を担当していた被告人らにあっては、総務あるいは証券金融に関係していた被告人らに比べても、特に多額の給料、報償金等を受け取っていたことなど、荒川、足立及び葛飾三名ともにその刑事責任及び犯情はまことに重いというべきである。

六 以上、詳しく述べてきたとおり、被告人らが当時置かれていた地位、役割、関係した期間等によっておのずからその差があることは当然であるが、被告人らの本件犯情がまことに重いことは明らかである。

七 しかし、一方、

1  被告人らが本件犯行に及んだ動機は、前記のとおり、中江がその判断で行う株式の取引の資金を集めることにあったことは明らかであるが、被告人らにおいて、最初から顧客から交付を受けるこれらの現金、株券等を、自らの用途に費消してしまって顧客には全く返済しないとか、あるいは株価が下がるまで返済を引き延ばすこと等によりわざと顧客に損害を被らせて返済する額を減らすとかまでの意図ないし目的があったとは認められないこと(この点について、検察官は、中江は、営業員らにいつも、株の取引は長くやると損を出すものであるから顧客には長く取引をさせろとか、分譲の客を信用取引に引き込んで出金させないようにしろとかと指示しており、営業員らも中江の指示に従って顧客の出金を抑えていたことは明らかであり、顧客からの出金要求を引き延ばすことによって顧客に損害を与え、返済する額を少なくしようとの意図ないし目的があったことは明らかであるとし、関係証拠にも検察官の右主張に沿うものがあり、中江が営業員らに右の趣旨のことを話していたことも事実であると思われ、更に、投資ジャーナルの営業のノルマは純増ということで設定されており、顧客からの出金要求に応じるとそれだけ入金額を増やさなければならないので、営業員らとしても顧客からの出金の要請はなるべくこれを抑えるという方向でその営業に当たっていたことも事実であると認められるが、少なくとも昭和五九年二月ころまでは、顧客に損害を負わせるため、わざと高値の株を買わせるとか、出金の要請を引き延ばすとか、信用取引に引き込むとかということが、投資ジャーナルの営業として行われていたとは認められず(例えば、計算上の利益が出ている顧客からの出金要求にも、再度入金が見込まれる時には、その計算上の利益にはこだわらずに、出金要求に応じていた。)、昭和五九年二月ころまでは、先に述べたとおり、被告人らとしては、ただ単に、仮に顧客に計算上の利益が出ても、中江がその資金を運用することによってそれ以上の利益を出すと極めて安易に考え、顧客が出す計算上の利益にはあまり捕らわれないで、ただひたすらに入金額を増やすことに走っていたと認めるのが相当である。)、

2  中江以外の被告人らにあっては、中江の強烈な個性からくる自信とその虚名に振り回され、中江の言葉を盲信し、その指示に盲従した面がうかがわれること(顧客らも中江の虚名に振り回された面があり、中江自身にあっても自らの虚名と過信に踊っていた面がある。)、

3  前記のとおり、投資ジャーナルの営業に関係していた目黒、荒川、足立及び葛飾にあっては、給料、報償金等として多額の金員を受領していたことが認められるが、すべて中江がこれを決定して目黒らに交付していたものであり、目黒らにおいて顧客からの入金から勝手に自分達の取り分を決定するような裁量があったとは認められないこと、また、渋谷を含めて、営業関係以外の品川、大田及び板橋にあっては、報償金等は手にしておらず、給料もさほど高い額ではなかったこと、

4  目黒については、前記のとおり、投資ジャーナルの営業部門の中心的立場にあったものであり、その関係した犯罪事実等からしても、同じく投資ジャーナルの営業に関係した荒川らに比べても、その刑事責任ないし犯情が重いことは明らかであるが、荒川らと質的に異なるとするには疑問があること、

5  品川及び足立にあっては、現在までに提供した金額はそれほど多くはないが、自らの関係した被害者の一部に一部被害弁償をするなどして、謝罪し、被害者らとの間に示談が成立し、被害者らから宥恕の意思が表明されていること、

6  その期間に長短はあるが葛飾を除く被告人らはそれぞれ勾留されるなど、各被告人ともに相当程度社会的制裁を受けていること、

7  目黒に道路交通法違反の罰金前科が二回あるほかは、被告人らには前科はないこと

等、被告人らにとって考慮すべき事情も認められる。

八 その他、被告人らにとって有利、不利の一切の情状を考慮するとき、被告人らに対してはそれぞれ主文掲記の刑を科し、中江及び加藤を除くその他の被告人に対してはそれぞれその刑の執行を猶予するのが相当であると認めた。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡田良雄 裁判官 木村元昭 裁判官 松吉威夫)

〈以下省略〉

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